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あやちーゆるだらdiary

自分の身の周りのこと、楽しんだこと、日々のぐちなどゆるくダラだらとかきつづってます。2011.11.17開始

1.6

 

19:38 母は息を引き取った。

 

その後、連絡した父たちがS病院に到着したのは、20:50ごろでした。

 

父たちが母と面会をして

最期のお別れをする。

母に「頑張ったな」と声を掛けてあげている。

そんな風景をぼんやりと私は見てました。

母が亡くなったことが夢物語のように感じられて。

 

やがたM先生が来て

21:05 死亡確認されました。

 

M先生によると

 

母は多発性骨髄腫による全身アミロイドーシスが原因で亡くなった。

重症だったのは腸管アミロイドーシスからの麻痺性イレウスを併発。

そのため、全身状態が悪くなり衰弱し、死に至ったとのこと。

 

それから、献体の話も・・。

 

明日、病理解剖を予定。

10時からで約4時間を予定。場合によっては5時間かかる場合もある。

今から、感染症の血液検査を行います。

病理解剖の結果は数か月から半年、1年後ぐらいにあると思う。

 

とのことだった。

 

母の死亡診断と今後の見通しが話された後、姉と母の病室を片付ける。

 

母は入院中、数通の手紙を書いていた。

兄夫婦に家のことをお願いする内容の手紙など。

 

そして、便箋には

力が入らない手でペンを握って書いたのだろうと思われるものが・・

 

『一時的でいいから、家にかえりたい』

と。

ようやく読めるような字で自分の想いいをしたためていたのだ。

 

『家に帰りたい』と。

 

入院して1ヶ月半・・、家に帰る事だけを考えていたのだろうか。

 

それは、叶えられることはなかった。

 

その言葉をみると

涙が今も止まらない・・。

 

病室を片付け、旅立ちの支度を看護師さんに託し、その日は帰った。

 

外にでると・・

雪が降っていた。

母が亡くなったことを空が泣いているように思えた。

 

旦那の在宅透析のことも考え

その日は夜遅くなったけれで、旦那に迎えにきてもらい、実家に帰らず、家に帰る。

 

旦那にぽつりぽつりと

母の亡くなるまでと母が亡くなったからのこと、家に帰りたいと便箋にのこしてあったことを

車の中で話した。

涙が止まらなかった。

 

 

1.7

午前中、旦那の透析を終わらせ

献体(病理解剖)が終わった母を迎えにS病院に向かう。

15時 S病院につき、母と対面する。

マスクをとった母はかなり痩せて、生前の面影は全くなかった。

 

母の病理解剖は1時間ほどで終了。

話が全然ちがうな・・とつっこみたくなったが、話と実際が違うのは仕方ないのだろう。

旅立ちの支度をし終わった母を連れ、病院を出る。

そのまま、祖父母の墓を回り、実家に戻った。

母が願った帰宅がかなえられたのだった。

 

家に戻ると兄夫婦を中心に葬儀屋と葬儀についていろいろ話が始まった。

 

1/9 通夜、1/10 告別式となった。

 

1/8は1日、母は念願の家にいた。

 

兄夫婦と、孫たち、ひ孫、姉夫婦と孫たちで10数人実家に人がいる。

孫(私にとって姪)と、母の死化粧を施す。

孫やひ孫に囲まれて、こんな風に過ごしたかっただろうな…と思った。

 

逆に私にとっては

一度も一緒に暮らしたことのない家。

日帰りや1泊での実家帰りのため、なじみのあまりない家。

 

近所の人が挨拶にきても

兄夫婦や姉は顔をしっていても

私には馴染みのない人たちで。

 

孫たち、私にとって姪や甥もそんなに交流もなかったため、ある意味、他人行儀で挨拶など交わす。

 

母がいない実家は、私の居場所のない場所になってしまっていた。

 

この家で母という存在は、私にとって欠けてはいけない人だったのだと痛感した。

 

居心地の悪い実家で過ごすのはとても苦痛としか言えなかった。

 

1/9 通夜

 

通夜、告別式は身内だけで・・。

そんな話を兄がしていたので、そう決まったのだろう。

葬儀関係は殆ど兄夫婦が決めてくれた葬儀で行うことになっていた。

 

それでも、母の知人たち、兄、姉、義姉、父の仕事関係の人たちが大勢焼香に来ていたのにはびっくりした。

 

私以外の家族がそれぞれに挨拶をかわしていた。

 

 

私の仕事関係は県外になるので、焼香などをお断りしたり、私の知り合いは実家周辺には誰もいなかったので、私関係の人の焼香はなかった。

 

大勢の中で1人

感じるのは疎外感だけだった。・・・

 

 

通夜が終わった後、その夜は葬儀場ホールに母を安置。

父と私で母と過ごすことになった。

 

棺に入った母の顔。

穏やかに眠る母に「再婚して、幸せだったのか?」と尋ねてみる。

もちろん、答えは返ってこないけど。

 

ようやくまた母と静かな時間を過ごすことができた貴重な時間だった。

 

1/10 火葬から告別式

 

父や兄の仕事関係の人達で

多くの人達が来た。

孫、ひ孫も勢ぞろいし、

母の姉妹たちも最期のお別れにきてくれた。

近所の人、兄、姉、義姉の知り合いが大勢やってくる。

母を知っているが私には交流のない、顔も知らない人たち。

やはり、私の居場所のない現実を突きつけられた。

 

その日、告別式の時間になると

雪が降っていた。

 

空も悲しんでいるようだった。