12/29
朝いちばんに母からの電話。
何事だろうと思って出ると
「献体したいから、早く先生にいってちょうだい。早くしないと間に合わないから・・・」
口早に強めの口調で話し出す母。
開口一番に献体の話。
なぜ、献体なんだろう?と。
前にも臓器提供したい希望があり、病気的に難しいと医師より話があって、臓器提供は諦めた経緯はある。
その続きなんだろうか。
よくわからないけれど、
この頃、私達家族は残り少ない余命の母には
大きなことでも小さなことでも
母の納得する、希望する人生を送らせてあげたい・・・
という気持ちで母と向き合っていました。
献体を言われても・・・
この年末に
病院も休日体制となり、担当医がバラバラになっていると思われるため
「年明けには何とか医師に話をする」と伝え、母の電話を切りました。
この頃の母は少し物忘れが強くなっていたのでしょうか。
それとも何事にも「何とか早く問題解決しなければいけない」と思っていたのでしょうか、1つの物ごとを私だけでなく、兄や姉、兄嫁に同様のお願いの電話をかけていたようです。
下着についても
母に頼まれたと言って
同じもの(あの頃は某メーカーの暖かい冬用の下着)を、私も姉も兄嫁も買っていき、みんなで「母に(ばぁばに)頼まれた」と言って、何枚にもなった下着に途方にくれていたこともありました。
それでも、電話1本あるだけで
母が元気であることを知れたのは
安心の材料でした。
そして、この日は個室へ移った日でもありました。
親戚にも知らせ、
面会も大部屋よりも許される状況となったのです。
この日もだれか訪ねたのかもしれません。
仕事だった私にはまったくわかりません。
そして、21時前にまた母からの電話が・・。
「色々考えてくれて個室にしてくれたのはうれしいけど、色々管がたくさんあったり、看護師さんだけしか来なくって、寂しい。頭がおかしくなりそうだ。大部屋に戻してほしい」と興奮気味に話したのです。
後から知ったのですが
この日、呼吸苦を訴え母は酸素吸入が始まったようです。
酸素吸入の管とCVカテの点滴の管、そして、モニターの管。
多分、部屋にはモニターも置いてあったのではないかと思われます。
管だらけの自分の身体とモニター音だけが響く部屋。
それが恐怖心につながってしまった様子。
「看護師さんしか来なくて1日が長くて・・困る。お願いだから大部屋に戻してほしい」と懇願する母。
大部屋になると面会できなることも伝えたが、「それでもいい」と答える。
看護師さんに話してもらいたいというので、看護師さんに電話を変わってもらい、「個室に移ったが、母が大部屋に戻りたいと願っている」と伝え、明日検討しますとの返答をもらう。
そのことを伝えると
「よかった・・・。1人でいるの・・怖いから。大部屋の戻れる」と安心したように口調が穏やかになり、「ありがとう」と言い残し電話をきったのでした。
母の願うことだったら
何でもかなえてあげたい・・その一心でした。
1/30
朝から母から電話がありました。
「よく考えて・・個室で頑張る。年末と年始・・松の内は個室で頑張から・・。そしたら、大部屋に移して・・」と落ち着いた口調で、昨日と全く違う様子で話すのです。
年齢のことも考えると
管だらけで、物静かな個室にいることで、多少せん妄状態になったのかもしれません。
S病院の母の入院している血液内科の病棟へ電話を入れ、
個室→大部屋の移動を断り、個室ですごすことをスタッフに伝えたのでした。
年末は父や孫たち、姉、兄夫婦たちがようやく母と面会をし
また親族たちもようやく母と面会を果たしたのでした。