埋め込んだのはアルゲリッチとクレーメルを。
二楽章と三楽章を聴くことが出来る。
三楽章のラストでDurになるところ、
アルゲリッチがとっても嬉しそうな顔♪



人は五感を使ってものごとをキャッチする。
何かひとつ足りなくとも、
そこには時間差が生まれてしまう。

背後で鳥が木から飛び立つとしよう。
影が動き、葉の隙間から通る光が瞬いて
何だろうと振り向く。
飛んでゆく鳥の姿を見る。
あぁ、鳥が飛び立って木々を揺らしたんだ・・と解る。
実際に飛び立った瞬間より、時間差が生まれる。
もしも聴こえれば、バサッと音が鳴って、
音のある方向を見る訳だからもっと早く解る。

瞬時に理解できてしまうことより
現実に起こることを知るためには考えることが必要になる。
しかし、全ての五感を持っている人は、考えなくても解ってしまう。

10番のソナタのころーー
一層音が遠いベートヴェンにとってそういった遠い世界に住んでいる。
しかし、心の中で繰り広げられるイメージに限っては、
リアルタイムに感じる事が出来るはず。

・・・考えさせられる第二楽章なんですよ。


冒頭『聴こえないからボリューム上げたい』なんて
思わせてしまうことが本来の表現。
耳の聞こえる普通の人には、一体何だかわかりにくい表現。
だからこそ、哀しい。

私はいま、とっても身体が痛い。
寝ても覚めても痛みの中に居る。
痛みの感じ方なんて結局は周りにはわからない。
これは、別に今を悲観している話ではなくて、
痛みは伝えにくいものの一つだと思うという話。
経験でからしか想像はできないですもん。
(でも一緒にキュンとなってくれようとしてくれる方々に
やっぱり救われるし有難いと思ってますよ。)

ベートーヴェンの音楽にしてもそういうところあるでしょうかね。
深層を知る・・なんて難しいこと。でも
・・楽譜には細かく表現されている。
ずっと弾けないからこそ、スコアから解ることがある。
そしてひとつづつ理解しキュンと切なくなる。

よくセンスだけの演奏を耳にする。
(自分への戒めでもあります (笑))
それも楽しむ要素の一つだけれど真実じゃない。
ベートーヴェンの感じている痛みや喜びを見つけることが真実。
後は表現する技術とハート。