私達は人間として生を受けました。

そのため、赤ちゃんの時は

おなかがすいたらミルク、眠たかったら寝る、

機嫌が良かったら笑う、そういうような自然に添って生きていました。


犬や猫も自然です。

いまでこそ、犬猫もストレスがありますが、

基本は食べたいときに食べ、眠りたいときに眠り。。。。

そういう生活を送っています。


年齢と共に、いろいろなことを学んでいきます。


そのうちの一つに人間関係というのがあると思われます。


私はとても好き嫌いがあります。

何に対してでもです。

このような接客業をしているからこそ、人と人のつきあいというものを

学んでいったのかもしれません。


中高生のころなら、この人、うっとうしいからとか

そういういじめがあったとしても、

子供の精神なので、徐々に学べばよいと思います。


でも、30才過ぎて「これが気に入らないからいやだ」とか

「あの人はこんなことをするから嫌いだ」とか

それはどうかなぁと思うのです。


また、人は自分を被害者にしたり、自分からの視点で

人に話をしがちです。

子供が「お母さん聞いて聞いて、あの子にあんな事されたんだよ」

それと同じ話し方をする人がいます。


すると、その話を聞いた人は

「え、あの子はそういう子だったのね。

そういう子は関わらない事ね」とか

そういう風にして周りから「加害者」にされてしまうのです。


実際はそうでなはい事が多々ありますし、

(両方の意見を聞かないとわからないとか)

「加害者」っぽく周りに吹聴されていた人が

実は「被害者」だったりするのです。


私の周りの人たちは当たり前のように、

私の意見に耳を傾けてくれる人が多いですし、

私が間違った考え方をしていたら

ちゃんと意見してくださったり、提案をしてくださったり

そういう方もいらっしゃいます。

決してイエスマンばかりではありません。


私は別に何を言われてもかまいませんが、

私の周りのものや人に危害が及んだり、

周りの人に不快感が与えられた場合には

その人との関係を絶つこともあります。


私はすごく子供っぽい思考で物事を考えることがありますが、

それ以上に、社会不適合というのでしょうか?

そういう人に振り回されることも多々あります。


人は鏡と言いますが、

そういう人たちに自分が傷つけられ、

そして自分も傷つけているかもしれない。



今、私はひどく傷つけられましたし、

それと共に、怒りが腹の底から湧いてでています。

本当に、その辺にあるものをバットで壊してやろうか!と思うくらいです。


それを相方に相談したら

「全く建設的ではない。

もし、本当に行動に起こしても、深い後悔があるだけで、何もないし、

それよりも、もっと自分を追いつめるかもしれないんだよ。

とても建設的ではないその考えを頭からはずしなさいな。

そして、別のこと、考えよう」


私がそこまで怒るのは、よっぽどのことだと察しているんでしょう。

私がそんな行動を起こしたとしても、自分にとってなんにもならない。

そうして諭してくれる相方。


早くこの怒りと悲しみ(情けなさ)の波から逃れたいです。


それは私がもっと大人にならなければならないのでしょうか?


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