2020年12月21日
もう2年前だね(^^)
飴子雪が大好きだったから、靴履いてないから雪の上は歩けたんだね。
嬉しそうな顔。
また泣けてきそう💦
飴子のこと、少し書こうかなと思ってブログを開きました。
何度も書こうと思って涙で書けなかった。
まだきっと寂しくなると思う。
でも前に進んでることも事実。
飴子がなくなる10月17日の夕方、17時半ころでもう真っ暗だったけど、パパが飴子をいつもの公園に連れていく!
と言い出して、この、お山の公園に行きました。
おトイレをして、芝生の匂いも沢山クンクンしたね。
10月13日の朝方胃捻転になって、病院で治療をしてから、初めての外出でした。
飴子はきっと満足したんだね。
飴子は今まで何度も危ないことがありました。
2017年に肺炎になったことがあって結構危なく、食欲もなくなり、余命宣告もされてました。
5日ほど入院して、これ以上ということで酸素を借りて家に帰ってきました。
しばらく闘病して食べれないときにタラを食べて食欲が戻ったので、それ以来
「命の源」として飴子=タラだったね。
丁度胃捻転になる前日の12日の夜もタラを食べて満足したのかな?
でもママは今はタラは見るのも辛い食品になってしまいました。
だってタラを食べた次の日に急変したんだもん。
胃捻転の怖さが私にはピンとこなくて、病院で治療してもらったから、
先生に何にも言われなかったから、
これから回復するって思ってたよ。
13日に治療して18日までの5日間が本当の飴子からのプレゼントの時間だったんだ
ってこと、私は気が付くことなく、今までのようにまたこれから長い長い介護が続くって
思ってたので、これからの介護のことばかり考えてた。
馬鹿だね!ごめんね、飴子。
立った時の排便はなんとか出来てたけど、寝たきりになった時の圧迫排尿はどうやるのかな?
とか
床ずれにならないように寝返りするようにハーネスももっと用意しなきゃ
とか、インスタのお友達がベビーベットで介護してるので私もベット買おうかな?
どれがいいかな?
どこに置こうかな?
とか。
今のうちに掃除もしなきゃ、洗濯もしなきや!
とか。
17日の21時くらいに飴子がパパに連れられて寝室に行って寝てたのですが、23時くらいに飴子が軽いてんかんを起こしました。
お腹も触ってみたけど張ってないし、胃捻転はなさそう。
ほぼ意識も錯乱してたのですが、抱えながらだいてたらじっと私の顔を見てました。
飴子をリビングに降ろしてもらって、朝まで飴子の手を握りながら抱いていました。
苦しんで全身を伸ばすこともあったけど、離すこともできなくて、
飴子が準備し始めてること私に悟られないように不思議な魔法をかけてくれてました。
飴子を抱っこしながら
「大丈夫だよ、大丈夫!またよくなるから大丈夫だよ」とずっとはなしかけてました。
病院に連れて行ったら先生はきっと安楽死の話をすると思ったので連れていくつもりもなかったです。
朝、パパが下りてきて、飴子をマットに寝かせて、飴子の顔をみたら、
もう飴子の目が濁ってました。
そのうち飴子の目に血が通ってなくて、首もたらんとしてて、それでも飴子は強い子で呼吸はしてました。
やっと、飴子はもうダメなんだ!
と思えました。
守ってあげれなくてごめんね!
と言いながら、それでも1時間近く飴子の心臓は動いてて、そのまま何も言わずに行ってしまいました。
飴子が亡くなる数秒前に花ちゃんが飴子の背中を何度も舐めてました。
パパが「お別れしたんだね」と花ちゃんに言ってました。