いいね! | LET'S SING THE ENDLESS SONG

LET'S SING THE ENDLESS SONG

気ままに書いていきますよ。

僕が高校生の頃、

アメブロは最盛期にあったように思う。


毎日更新すれば、その分たくさんの人が

ブログを訪れ、

ペタとコメントを残してくれた。


ペタは「記事を読んだよ!」というよりは

「ブログに遊びに来たよ!」という

ニュアンスのものだったと認識している。


しかし、大学生くらいになると

Twitterなど、ブログよりも短文で

気軽に投稿できるSNSが主流になっていった。


自分もその流行に乗っかり、

Twitterへの投稿がメインとなり、

アメブロを開く回数は格段に減った。


今ではTwitterもInstagramも

ヘビーユーザーである。

1日に何回も何回も投稿するわけではないが、

暇があればタイムラインを追っている。


TwitterやInstagramの手軽さは

その文字数の少なさのほかに、「いいね」

という機能も影響していると思う。


コメントをせずとも「わかるわかる!」

と、気軽に共感の意を示すことが

できるのである。


アメブロも流行りに乗っかり、

今では「いいね」の機能が追加されている。


先日、1年以上ぶりにアメブロに

投稿を再開した。

僕が高校生の頃から

変わらずにブログを書き続けている人、

一度は投稿が途絶えていたけど再開した人。

懐かしい人たちが、今でも少なからず

アメブロに言葉を綴っていた。


おそらく「いいね」という機能がなければ、

僕はその人たちのブログに

新しい記事が投稿されるたび

一言でも二言でもコメントを

残しているのではないだろうか。


しかし、ペタとは違い、

「来たよ!」というより「読んだよ!」

のニュアンスが強いのが、

この「いいね」の罪なところである。

「いいね」という機能があるがゆえに

その便利さにかまけて、

コメントはあまりせずに、

「いいね」だけで済ませてしまっている。

多分、便利さにかまけて、なのだと思う。


気軽にアクションを起こすことができ、

「見ていますよ!」の合図が送れるのはいいが、

言葉によるコミュニケーションが

希薄になっているのではなかろうか。


TwitterやInstagramもそうだ。

友達の投稿を見ても、

よほど口を挟みたくなるような内容でなければ

基本はコメントせず、ハートのマークを

ポチッとするだけだ。


インターネットというもの自体が

そもそも顔を突き合わせての

コミュニケーションを希薄化させているのに、

それに拍車をかけるように

ハートのボタンや

アメーバではにっこりのボタンが

言葉でのコミュニケーションを

希薄化させている。


便利な反面、どんどん寂しい世の中に

なっているような気もする。


これだけ分析しておきながら、

今日もアメブロでは誰にもコメントせず

「いいね」だけで済ませています。

ごめんなさい。


ではまた(^^)/~~~