10月ももう半分が過ぎました。

暑い暑いと言っていたのに今では朝晩寒い、というほどです。
一ヶ月以上前、9.11に関して書こうとしていた頃、
関東と東北で豪雨に見舞われ、機会を逃してしまいました。

それ以降、阿蘇山の噴火、台風、「元」台風など、そして
無くならない人為的な死亡事件、テロなど…

特に、少し自分の気にいらないことがあると人や動物などを傷つけてしまう、
こういう事件が起こるたび、やるせない気持ちになりますよね。

多くの人々は、毎日自分の思い通りになることばかりではない、と
納得してストレスとうまく付き合っています。

事件を起こしてしまう人の多くは
自分が思うような生活をおくれないのはすべて他人のせい、
まわりのせい、と思い込んでいるようですね。
そこには劣等感やねたみやひがみといった意識があるのかもしれません。

誰でも劣等感は持っている。

つい他人と比べてしまう。

かなり前に読んだ本の中に、

「他人の一番光り輝いている部分と、自分の一番だめだと思う部分を
比べるから自信がなくなるのです。光り輝いている人も人よりできないこと、
自信のない部分を持っている」

というようなことが書いてありました。

すご~く納得しました。

でもやっぱり〇〇さんはいいなあ、こうでこうで
私にはできない、私にはそういうところが全くない、

などと思ってしまう…。

だいたいの人はそう思いますよね。


思っちゃいけないわけじゃない。
思うことはよし、としよう。

それはそれ、で、私にはこういういいことがある。

と時々思えればいいですよね。


ただし、

何かを成し遂げよう、これを実現させれば多くの人が救われる、
多くの人の役に立つ、たくさんの人に安らぎをあたえられる、
たくさんの人々を楽しませたい、

こんなふうに思って日々努力している人たちは

あまりあの人はいいなあ、とは思っていない気がします。

尊敬するあの人のようになりたい、とは思うかもしれないけど
いいなあ、…

で終わらせないですよね。

いいなあ、と思う暇もない人もいる。


だからといってひところの教育現場のように
運動会で順位をつけないみたいなのは違う、と思います。

社会に出れば、たとえ順位をつけられなくても
順位のようなものを思い知らされる出来事が必ずありますよね。


負けず嫌いの私は、
負けるのがきらいだから負けそうなところにはなるべくよりつかない(笑)

負けそうなジャンルは自分には関係ないので ww
得意なひとたちだけで戦えばいいのです。

人には向き不向きがある、適材適所という言葉もあります。

地球上の動植物の役割はそれぞれ決まっている。

複雑になりすぎた、進化しすぎた人間は
役割も多種多様に分かれすぎた、というところではないのでしょうか。

ナンバー1でなくてもいい、って私は思いません。
負けず嫌いだから(笑)

全ジャンルでナンバー1になる必要はない、
自分の好きなところでトップをめざせばいいじゃないですか。

もちろん、トップというのはたった一人ですから
全員一番にはなれません。

必ずその人の役割がある、

それはだんだん感じるようになってきました。



他人を心理的に傷つけてしまったり傷つけられたり、
それはなくならないと思う。

そういうことがあっても生きていくんだよね。

相手が回復できなくなるほど心理的に
そして身体をも傷つけるようになってしまうこと…。

本当に難しい問題です。


私のように、ちょっと人と感性が違っていますと
気が合う人の方が少ないので
正直毎日が試練です。

疲れます、人と付き合うの。

だけれども私にはやりたいことがあります。
達成したいことがあります。

たぶん間接的には人の役に立てると思います。


どんなに人付き合い下手でも、やはり誰かの役にたっている、
ということが生きがいになるのではないでしょうか。

残念な出来事ばかりなので

少し真面目に書いてみました。

テロや戦争も個人対個人が傷つけあうことの延長戦上に
ありますよね。


本当に平和だったら

「平和」ということばそのものが必要ない。


………