ラストブログ | damy-officialのブログ

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先ず始めに。


2019.05.06(月/祝) TSUTAYA O-WEST
DAMY LAST ONE MAN LIVE
「この場所で僕らは消える。」


あの日あの場所を選んで足を運んでくれたファンの皆、関係者の皆様、本当にありがとうございました。


DAMYの約5年間の歩みはあの日、幕を閉じました。


お世辞にもめちゃくちゃデカい場所ではなかったかもしれない。
華々しく、壮大に終わった訳ではなかったかもしれない。



でもね。

泥臭くて、汗臭くて、感情的で、叙情的だった。




想いを伝えようと喉が裂けるほど声を上げる人


感情を伝えようと拳を、指を突き上げる人


記憶を馳せて涙を流す人



そんな空間が、そんな場所が、そんな皆が


俺にとってはどんな場所やどんな物よりも眩しく輝いて見えました。


本当に皆の居場所だったんだな。って思えた。


そして何より、俺たち自身の居場所であり「生きてる理由」だったんだなって。

そう思ったんです。



そんな大切な居場所を守ってあげられなくてごめんなさい。


本当にごめん。




ライヴの途中でも話したんだけど、メンバーが5人だった時期から含めて約1900日。


一度のメンバーチェンジもする事なく、このメンバーで歩み続けて来ました。



とにかくバンドがしたかった。


デカい箱で歓声を浴びたかった。


スターになりたかった。


夢を叶えたかった。


アーティストになりたかった。


そんな、当時フワフワとした野心を抱えたクソガキ達で勢い任せに組んで生まれたバンド。



それが、後に皆が愛してくれる事となった「DAMY」です。



勢い任せって言ってピンと来ないと思うけど、具体的に言えば俺はバンドが決まった時点で海青に一度も会ってなかったんだよね。笑

「ん、海青?だれ?」みたいな。笑



椋が海青を引き抜いて「Dr.は海青って奴がいて、とにかくこいつ最強だから決まりね!」って。


俺も「最強だったらそれでいいじゃん!だって最強なんだし!」ってなってメンバー勝手に決まってたり。


普通ありえないよね。笑
先ず、いやお前誰やねん。笑 ってのが普通だと思う。笑


空も始めは俺が頼みに頼み込んでサポートでDAMYに入ってくれた。

それは元々、俺と空が同じセッションバンドをずーっとやってたから。

一番信頼してるギタリストだったから。

俺の中で最強のギタリストだったから。



その空にも別に他のメンバーに特別な顔合わせの機会も与える事なく、初めて会ったのはバンドミーティングの時。


その時に「あ、Gt.やらせてもらいます…」みたいな「Dr.やらせてもらいます…」みたいな笑


なんだこの空間、カオスすぎるだろって。笑


いざ空がサポート始めたら「誰も曲書けねぇ!やべぇ!」ってなって、その頃からちょっと曲を書いてた空がなし崩し的に曲を書く事になってしまって…サポートなのに。笑



掻い摘んで話せばこれぐらい勢い任せだった。

完全なるノープラン。

いや、当時は当時で必死こいて考えたプランニングがあったんだろうけど、今こうして時間が経って振り返ってみればとんでもなく無謀で馬鹿な事してんなって思います。笑


でも、当時の自分に会えたなら胸を張って言いたい。


これから組むお前のバンドは本当に最強だったぞ。って。

だから絶対しょうもない事に負けんな。って。



椋の事は言うまでもないよね?

最強のヴォーカリストだった。最強のカリスマだった。

出会った時から、最後まで。

あいつに救われた事の数なんて数えきれない。

いつも矢面に立ってくれてありがとう。

俺たちの前に立ってDAMYを引っ張ってくれてありがとう。




思い出話しを全部文字に起こしてしまうと、それだけで俺の指が腱鞘炎にでもなってしまいそうなのでこの辺で…。笑



あとこれもライヴ中にチョロッと話した事。

これは今のDAMYを好きでいてくれる人達にとって伝えていい事か迷った部分。

でも、伝える。どうしても伝えたいから。




DAMYは最初 5人 でした。


当時、空は下手Gt.としてDAMYをやってて、その頃上手Gt.には 隼人 ってギタリストがいたんだ。

海青の幼馴染で、海青が連れて来てくれたギタリスト。


俺と空以外の3人は始動当時、学業とバンドを両立してました。


始動も終え、初めてのリリースを終えて、バンドの活動が約半年程経つ頃


隼人から脱退したいとの申し出があった。


理由としては学業との両立が厳しくなってしまって、このままだとDAMYの活動に迷惑をかけてしまうから。との事だった。


沢山話し合った、どうにかならないかと思案もした。


でも、隼人の意思は変わらなかった。


誰よりも優しい奴だったからこそ、あいつの意思は変わらなかった。

迷惑をかけたくない一心だったんだと思う。



だから、4人で隼人の背中を押して見送ったんだ。



4人になってからのDAMYを知ってくれた子達にはほとんど知らない情報かもしれない。


どうでも良い情報なのかもしれない。


4人のDAMYだから好きなんだって思う人もいるかもしれない。



でも俺の中でDAMYはいつまでも 5人 なんです。

多分他のメンバーもそう思ってるはず。



バンドのインタビューの時にやっぱり4人のバンドっていう事で毎回話が進んでいって。


そんなのは当たり前、しょうがない事なのは俺もメンバーも分かってる。


ライターさんも誰も悪くない。



だけどその度に俺の中では4人ってワードにすごく引っかかりがあって。


自分の口からも4人っていうワードを使う時もすごくモヤモヤしてて。


その辺りの感覚が異常な程敏感になってました。


当時の隼人のファンが今のDAMYを応援してくれてるか、それは俺にもわからない。


このブログを読んでくれてるかもわからない。


だけど、隼人が紡いでくれた物。


それに引き寄せられたファン。


その半年の過程があったからこそ今のDAMYがあるんです。


これは俺のエゴかもしれない。


だけど、4人のDAMYを応援してくれてる皆にもこういった話しを記憶の片隅にでも置いてほしい。


そうして初めて、あの時バラバラになってしまった 5人 がまた一つになれる気がするんだ。


隼人が「ただいま」って言えると思うんだ。


だから、どうかお願いします。


DAMYは 5人バンド です。


1人も欠けちゃいけないんだ。



これが、賛否両論あるとは思うけど俺が伝えたかった事。




そして、何より一番に伝えたい事はやっぱり皆への「感謝」です。


ここで言う皆っていうのは、DAMYに関わってくれた皆って事です。



ファンの皆

社長

事務所の皆

先輩

後輩

そして メンバー


本当に感謝しています。



周りに人が増えていくに連れて、人への接し方や気持ちを汲み取る、という事を少しずつ覚えていきました。



全ての期待に応えられた訳じゃない。


全ての信頼に応えられた訳じゃない。


でも、そんな俺をこうして包んで、見守って、支えてくれて本当にありがとうございました。




皆が居たから、俺が居れました。



皆が支えてくれたから、俺も支える事が出来ました。



社長もよくこんな手のかかる馬鹿を拾ってくれたなって思うよ。笑

沢山傷つけてごめん。

沢山泣かせてごめん。

沢山心配かけてごめん。

沢山喧嘩してごめん。

沢山振り回してごめん。

沢山苦労をかけさせてごめん。


でもやっぱ俺は社長の子供で良かったよ。


どうしようもない俺たちを拾ってくれたのが社長で良かったよ。


この間の打ち上げが終わった後、メンヘラの彼氏みたいなクソ長いライン送ってごめんね。笑

でも、あれが本心だから。


ライヴハウスで社長に「母ちゃん!」って言って「母ちゃんって呼ぶな!本気で勘違いされるだろ!」ってやり取りが本当に大好きでした。


チラホラ顔見せると思うけど、どうか身体には気を付けてください。

まぁどうせ長生きしそうだけどな!笑


本当にありがとうございました。




メンバーもこんな俺をメンバーに迎え入れてくれて、最後までリーダーを任せてくれて本当にありがとう。


最強のメンバーが集まったバンドはやっぱり最後まで最強だったよ。


余計な言葉はいらない。


歩んできた1900日。


この中に俺たちの全てが詰まってる。


お前たちとバンドが出来て本当に幸せだったよ。


20代前半の青春をお前達と過ごせて良かった。


本当に誇りです。
どうかこれからも突き進んでください。


いや、ちがうなぁ。

一緒に突き進んでいこうな。



別々の道がまたどこかで交わった時、その時は軽く握手でもしてまたバカ笑いしような。






ファンの皆、本当に今まで支えてくれてありがとう。


DAMYに支えられました!

DAMYに出会えてよかった!


恥ずかし気も無くそんなことを言ってくれる皆が俺は大好きです。


皆の言葉、そっくりそのままお返しします。



皆に支えられたよ。

皆に出会えてよかったよ。


回数や期間なんて関係ない。


一度だっていい。


人生という一つの線の中で、DAMYの颯熾として生きた俺の線に交わってくれた皆



本当に本当に本当に



ありがとうございました。



何度だって言います。



ありがとうございました。





ここで少し個人的な話を。



チョロッと伝えてるとは思うけど、この先俺がまたステージに立つのかは全く未定です。



もう表舞台には立たないかもしれないし、ひょっとしたら半年後ぐらいにフラッと現れるかもしれない。


それがヴィジュアルシーンなのか、はたまた全く違うロックバンドなのか。

それもわかりません。




でも、DAMYで得た経験は俺の一生の財産です。



だから、どういう結果になっても俺は音楽を続けるよ。



自分に足りないものをこの期間に沢山勉強したいと思ってる。



そして一回り大きくなってまた皆に何かを伝えることが出来たら、それって凄く素敵な事だと思うから。



だから、これからもどうか応援してくれたら嬉しいです。

見守ってくれたら嬉しいです。




言いたい事はまだまだ沢山ある。

伝えたい事は山程ある。



でも、言葉って難しいね。


これだけクソ長い文書いても、皆に伝わってるのかわからないや。



やっぱり、音楽って凄いね。
こんな言葉なんて必要ないんだもん。



そんな音楽の繋がりをいつまでも絶やさないでほしい。

いつまでも大切にしてほしい。










本当に今までありがとうございました。








これでDAMY 颯熾としての最期のブログとなります。



少しは纏まったかな?


少しは伝わったかな?


文が下手くそでごめんね。笑




皆と命を削ったこの5年と2週間。


約1900日。



俺の財産です。誇りです。



長い夢を見てるかの様に幸せな時間でした。






約1900日、こんなどうしようもない馬鹿野郎達のバンドを好きになってくれて


知ってくれて


追いかけてくれて


愛してくれて



本当にありがとう。



どうかこれから先、皆の未来が明るく豊かなものでありますように。


皆が1人でも沢山の人に愛されますように。


平等にやってくる悲しい出来事があった時、皆の耳に入って支えになるものが


僕らの楽曲、思い出でありますように。




今まで本当にありがとう。



これからもどうぞよろしく。




Thanks for all fan's!!
















やっぱりDAMY 颯熾は世界一の幸せ者でした。






自分の中に残ったこの思いは、、そうだなぁ







閉じ込めて 仕舞うよ。