いいね!が創るコミュニティ | delo camping now !!

delo camping now !!

趣味のキャンプと日々の事

以前、このブログのいいね閉じに言及くださった方がおられたので、前から書こう書こうと思っていた、いいねについて少し書いてみたい。というのも、僕はいつからかいいねをアメブロであまり繰り出さないようになった。これは、意識的に自主規制を設け、自身でいいねをゲーム化している事がその由来で他意はない。


頭の中の仮想だが、いいねの意味を立体的に表現できるゲーム化を妄想している。簡単に言うと、いいねを数だけで水平に評価するのではなく、いいねの価値をバーティカルに表現する軸を勝手に設けている。


ちょっと何言ってるかわかんないんですけど的なハナシだが、僕が考えるゲームはこうだ。


【閲覧者側の視点】

基本閲覧者がいいねを押すことのメリットは、押したことによるコミュニティへの貢献度を示せることだ。しっかりいいねを押していく事で、そのコミュニティの活性状態が可視化されていくことに貢献する。

ただ、自分のいいねを流通させればさせるほど(押せば押すほど)インフレ的な事が起き、自身のいいねの相対価値は下がる。適正に抑制し押下を抑えれば、自身の裁量でその価値を目減りさせずにキープ出来るような仕組みを作る。例えば、個人の持分のいいね価値を最大100などと設定し、1つ押すと価値が1ずつ減っていくような運用だ。いいね価値の残量で、自身のいいねの価値や重みを表現する事が出来、例えば真に共感出来たり、本当に応援したいと思った時にはここぞ!とばかりに、いいねを押す、などの表現が意味的に可能になる。いいねの価値量の運用を自身の裁量で行えたり、その人のいいね押下量やいいね価値残数が外からもわかる状態とすることで、その人のいいねへの態度や考え方を定量的に理解する事が出来る。



【発信者側の視点】

例えば、いいね価値残量80以上の人からのいいねが、規定の数に到達するとそのコンテンツは、そのコミュニティ独自の文脈において、スペシャルコンテンツの認定を受けるなどのインセンティブを設ける。発信者側のステータスが、どのような属性や価値量のいいねにいいねされたか、月次でスコア化され、立体的にそのコンテンツのファンや奥行きを可視化できる。ただ、そのスコアが持つべき意味は、コンテンツがどれくらい役立つかという考え方を一切排除して、どれくらい共感できるものか、応援したいと思えるものか、を示すものとする。単純いいね数と、価値あるいいねやいいねの属性のバランスは、コンテンツがそれらの定性価値(共感や応援したい気持ちなど)にどれくらい寄り添っているかを評価する。そうする事で点数稼ぎのみを狙った業者のような記事の淘汰を促し、コミュニティの「相互の信頼」を少しずつ担保していく。例えば、社会で何かと闘っている人を本当に応援したいときに、その立体的ないいねが持つ意味で、本当に応援してくれてるんだな、というのが発信者にエモーショナルに伝わる、といった具合だ。



【コミュニティがつくる未来】

このようにコミュニティを適正ないいねの運用で回す事で、相互に信頼できるコミュニティとしての価値を上げていく。そして例えば、外部から何か意見を求めたい人が現れたとき、コミュニティ内でその人や団体からコンテンツを発信してもらい、信頼の担保された適正ないいねシステムで、そのコンテンツを独自の軸で評価する機能を持たせる。外部とは、そのコミュニティが、興味関心のあるであろうテーマを扱う人や団体を指す。もちろん、過去コンテンツやコメントからのテキストマイニングみたいな情報提供があってもいいし、信頼度の高いいいねシステムは、トークンエコノミーの世界を発想して、コミュニティに役立つ原資を外部から得てもいいだろう。



【意味消費にフォーカスすべきだ】

アメリカの作った大規模な「ネットワークの外部性」は、少しずつ形を変え、これからは、コミュニティが重要なキーワードとなるはずだ。そしてその未来は、多様なオンライン技術を実装する事で、まさに螺旋的プロセスとストーリーを経て、一段上の「意味」が作られていくだろう。現状のシンプルないいね押下の背後にある歪みは、新たなコミュニティの可能性を提示している。