缶詰直火調理が示唆する事 | delo camping now !!

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趣味のキャンプと日々の事


オイルサーディンの缶詰なんかを焚き火の直火にかけて醤油たらしてネギちらして、なんて、かなり最高なんだが、数年前からか、そういう事を一切やらなくなった。


これを知ってから、やめた方がいいよなって。



メーカーや業界団体が言うんだから、やめとこう。当然だけど、映えるようなアウトドアな雰囲気も、健康リスク冒してまでやることでは全くない。



「缶は金属腐食を防ぐ為、樹脂でコーティングされており、BPA(ビスフェノールA)が多く使われます。BPAは一般的用途での溶出はほとんどありませんが、120度を超える加熱では溶け出します」




食品安全委員会資料(内閣府)




しかし、もっと根深い本質的な問題がこの裏側には横たわっていると考える。例えば、記事に示されていた「達人」という言葉。


キャンプに限らず、あらゆる「達人」がYouTubeなどネットメディアで蔓延っているけど、こういう時に出てくる「達人」という概念は、発信者側の都合の良い「達人」であることが多い。


こういったある種、権威的な言葉の配下では、人はしばしば道理を探そうとしなくなるし、疑うことをしなくなる。僕のように思考停止で、缶詰を直火で炙ってしまうのだ。


この「〇〇の達人」事案は一例に過ぎないが、抽象化して捉え直すと、


曖昧に流通し続けている言葉でモヤを被せて、道理を見えづらくする事で機能する巨大で無意識なシステム


が存在している事が分かる。


ネットメディアの問題だけでなく、世の中色んな領域で、そのような事案がたくさんぶら下がっているはずだ。


たとえば、それは「伝統」という圧力的言葉と共に身近に存在してたりするが、共通している事は、常に一方にとって、都合がいいという点だ。




これについてはまた書きたいのだが、こういう歪みにこそ新しい事業企画のヒントがあり、思考の訓練、遊びとなり得る。哲学的考察などという概念は本当にどうでもいい。方法論でしかない。