Tags:「僕」の歌、School days
青春なんて醜悪な言葉を使いたくはなかった。
ポール・ニザンに倣うならば、それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
輝かなければならない理由も、輝くことのできる資質もなかった。
なんの不自由もなかったけれど。
こんなことを僕に言う人は、その時いなかった。もっともこんなことを言われても、僕は聞く耳を持たなかっただろうけれど。もっとじたばたしながら/やりたいことだけやればいい
失敗したってもう一度やり直そう/何も恐れることはない
遠まわりでも時間はある
眠れぬ夜を過ごす「僕」とその「僕」を励まそうとする「誰か」。
その「誰か」は、きっと大人になった「僕」に違いない。
そう確信するのは、これを書いている僕がもうすっかり年を取ったからだろう。僕がちょうどこの歌の「僕」であった頃の亡父の年齢を、今の僕はいつの間に越してしまった。
世知は十分に積んだが、もう遠回りをする時間は残っていない。
決して美しくはないし、痛みや苦悩に事欠くことはなかった日々。でも時折奇跡のような朝日を見ることができた。何とかやってこられた。
今があるのは、その日々のおかげなんだろう。
それが「栄光の日々」。
ちなみに僕はKIIの「Glory days」が好きです。自信たっぷりのJではなく、向田のあの細くて危なっかしい声が、この歌には似つかわしく思えて。
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磯原。「逆上がり」公演の時にはまるで棒のようだった子が、すっかりチャーミングな女の子になっていました。
石田。艶やかな立ち姿は、アンフィシアターの時と同じだった。動きは決して激しくないのだけれど(というか全然無理がないので激しく見えないのだろう)、やはりこの人のダンスは綺麗だ。「鏡の中の僕は相変わらず」の所作の優雅なこと。「もっとじたばたしながら」の軽やかなこと。どんなに素早くターンしてもこの人は髪一筋も乱れない。
荒井。全くの初見だったのだが、その長い手足と激しいダンスに目を奪われた。写真で見ると印象の薄い人なのだが、舞台の上での存在感は抜群だった。
特に石田と組んだ「Glory days」。石田と対照的に髪を振り乱して全力で踊る姿は圧巻だった。
栄ヲタは中西の面影を見るんじゃないかしら。
後藤。ごりさという二つ名に似つかわしくないSKEには稀な(失礼)正統派の美少女。
松村先輩の同期にしてまだ高校3年生。僕みたいなヨソ者が語るのは畏れ多い人(センパイやぞ!)である上に、いろいろとムズカシい風聞もあるのだが、今日初めて会った後藤は素直にステキでした。
「雨のピアニスト」での妖艶さや「Innocence」での危うさ。
今までちゃんと見てなかったけれど、この人の魅力は「嘘つきなダチョウ」とか「逆転王子様」ではなくて、こういうところにあるんじゃないだろうか。
気がつくとこの人を追っている僕がいました。
「美しくなったでしょう?」
うん。ぞくっとするほど美しかったよ。
余談だけど「雨ピ」の後藤の手袋、逆じゃね? 上手の後藤は左手、下手の内山は右手に手袋ってのがお約束だったのでは。
小石。この人も初見。ぱっと見目立つ感じの人ではない。どんくさいことやBBA(と言っても20歳)なことを歳下のセンパイたちにいじられていた。おっとりとしてちょっと「不思議ちゃん」みたいなポジション。
ふうん、けっこう歳行ってから入った人なんだねえ、という印象しか残らずに終わると思いきや、終盤の「火曜日の夜、水曜日の夜」。
「手をつなぎながら」公演としては異色な、Dark side of AKB。
この歌のはらむ虚無感や絶望感は、Team E(というかこの日のメンバーたち)から最も遠いところにあるだろう。たとえば磯原や青木も一生懸命表現をしようとしていたのだが、いかんせん彼女たちの持つ生き生きとした生命感は隠そうとしてもこぼれ出て来てしまう(ちょうど「命の使い道」で西野からこぼれていたように)。
そりゃあしょうがないことなんだけどさ。
そんな中、少なくとも僕の目にはたった一人だけこの歌に入り込んでいたのが小石だった。
心の中に静かな絶望を抱えているような、そんな表情。
うーん、何者だろうこの人。
UC公演組のおしりん、れおな、なっきー、それぞれに成長したね-。
ちょっとやっつけ感想だけど。
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お見送りをしてもらって外に出ると、12月にしては寒くない。
すぐそばのもつ焼き屋に飛び込んでビールをあおりながら、八丁味噌味のコンニャクとさっきまでの陶然とした時間を噛みしめた。ちきちょう、なんてあっという間なんだ。次は…
おいおい、次もあるのかよ。また来ちゃうのかよ、俺。
あんまりシアターが呼んでくれないと、栄の子になっちゃうんだからね!