明けましておめでとうございます。
本年もまぁ、てきとーに宜しくお願いします。
で、新年一発目のネタがこんなものだというのはどうだろう
という声も聞こえてくる気がしますが(幻聴)、8年前の旧ブログ
時代から私のブログはこんなもんだということを改めて読者に
思い知らせてやるつもりで、今回このようなネタを紹介する。
皆さんもピョンヤン放送というのをニュースなどで耳にしたことが
あるかと思います。この局は日本向けに日本語による短波放送も
1950年代から実施しており、受信報告書というものを局に送ると
お返しとして受信証明書というものを送ってきます。
(これはほとんどの放送局が実施している)
とくに北朝鮮の「朝鮮中央放送」(当時の呼称。現在はピョンヤン
放送)は受信証と一緒に各種印刷物をこれでもかというほど送付
してくれることで有名だったそうです。
今回は私の父が1980年に受け取った受信証のオマケに付いてきた
冊子、「ピョンヤン学生少年宮殿」をご紹介しましょう。
これはテリー伊藤の「お笑い北朝鮮」でも紹介していないから
載せる価値はそれなりにあるだろう。
これが表紙。「1976年 チョソン民主主義人民共和国ピョンヤン外国
出版社」と見返しに印刷してあったが1976年にしてはアナクロというか
日本の昭和30年代のセンス。
都市部エリートの子弟が通う学校だったのでしょうね。
「子供たちの新年祝いに参加する父なるキム・イルソン元帥」
こうして子供達と並ぶといかに金日成が絵ではことさら大きく描かれて
いたかというのが判る。まぁ偉大な人らしいからしょうがない。
これが建物。立派です。当時ソ連・中国・東欧各国から支援を受けていた
だけあり潤沢な予算があったのでしょう。
「電気サークル員たち」というキャプションが。
天文サークル(左)と飛行機サークル。MiG-15の本物のコックピットが
展示されているというところに味わい深いものがある。
「核物理サークル員たち」この子達は今、大きくなって何をしている
のか気になる。兵器方面に徴用されていたりするのだろうか。
「未来の化学技師たち」(左)、「弱電サークル室」。弱電というのは
エレクトロニクスのこと。この時代なら無線技師とかテレビ設計とか
そんな方面で活躍する人材を求めていたのでしょうね。
「娯楽室」私の住むマンションの娯楽室より立派なのが
ちょっと悔しい(笑)。
「卓球部」 「いい?サーブはこうやって…」と指導している
ところでしょうか。
射撃練習。まぁ実弾訓練ではないでしょうね。なんかお祭りの射的で
頑張る友達を応援する図といった感じだ。
「世にうらやむものはない」 校歌でしょうか? 楽譜も載っているので
誰かニコ動の「歌ってみた」カテゴリーで発表してみない?
演奏会。たしかに上手だけど無味乾燥といった感じの演奏が聞えて
きそうだが、子供のやることなので笑って許すのが大人というもの。
「農産サークル室」昔から農業技術者を養成しておいて、今でも
農業が振るわないのはどういうことだよとツッコミたくなるのは
私だけではないはず。まぁこの子達の責任ではないけど。
「医学サークル室」どの程度のレベルまで教えていたのでしょうか。
刺繍をしているところ。先輩が後輩の肩に手を添える構図に現代の
日本の男の子達は萌えを感じるかもしれない。わからないけど。
劇もやるよ。「導きの星」という音楽詩劇の一幕らしいが、ここは
ひとつ日本向けに「導きの☆彡」と改題して幼女たちに演じさせると
オタク層にウケるかもしれない。わからないけど。
「工場、企業所に出かけて生産扇動を力強くくりひろげる宮殿
サークル員たち」 これで逆に生産効率が下がっちゃったのは
有名な話。 でも子供達からすれば善意だから嫌な顔はできな
かっただろうな。本当に楽しみにしていた人も一部にはいたかも
しれないし。
ということで、今回は父所有のアイテムから紹介させていただいた。
とくにネタがないとき、ネタはあるけど面倒なとき、実家の倉庫を
漁って適当なものを紹介するというのは私の常套手段なので「手を
抜くな」と怒らないように。
本年もまぁ、てきとーに宜しくお願いします。
で、新年一発目のネタがこんなものだというのはどうだろう
という声も聞こえてくる気がしますが(幻聴)、8年前の旧ブログ
時代から私のブログはこんなもんだということを改めて読者に
思い知らせてやるつもりで、今回このようなネタを紹介する。
皆さんもピョンヤン放送というのをニュースなどで耳にしたことが
あるかと思います。この局は日本向けに日本語による短波放送も
1950年代から実施しており、受信報告書というものを局に送ると
お返しとして受信証明書というものを送ってきます。
(これはほとんどの放送局が実施している)
とくに北朝鮮の「朝鮮中央放送」(当時の呼称。現在はピョンヤン
放送)は受信証と一緒に各種印刷物をこれでもかというほど送付
してくれることで有名だったそうです。
今回は私の父が1980年に受け取った受信証のオマケに付いてきた
冊子、「ピョンヤン学生少年宮殿」をご紹介しましょう。
これはテリー伊藤の「お笑い北朝鮮」でも紹介していないから
載せる価値はそれなりにあるだろう。
これが表紙。「1976年 チョソン民主主義人民共和国ピョンヤン外国
出版社」と見返しに印刷してあったが1976年にしてはアナクロというか
日本の昭和30年代のセンス。
都市部エリートの子弟が通う学校だったのでしょうね。
「子供たちの新年祝いに参加する父なるキム・イルソン元帥」
こうして子供達と並ぶといかに金日成が絵ではことさら大きく描かれて
いたかというのが判る。まぁ偉大な人らしいからしょうがない。
これが建物。立派です。当時ソ連・中国・東欧各国から支援を受けていた
だけあり潤沢な予算があったのでしょう。
「電気サークル員たち」というキャプションが。
天文サークル(左)と飛行機サークル。MiG-15の本物のコックピットが
展示されているというところに味わい深いものがある。
「核物理サークル員たち」この子達は今、大きくなって何をしている
のか気になる。兵器方面に徴用されていたりするのだろうか。
「未来の化学技師たち」(左)、「弱電サークル室」。弱電というのは
エレクトロニクスのこと。この時代なら無線技師とかテレビ設計とか
そんな方面で活躍する人材を求めていたのでしょうね。
「娯楽室」私の住むマンションの娯楽室より立派なのが
ちょっと悔しい(笑)。
「卓球部」 「いい?サーブはこうやって…」と指導している
ところでしょうか。
射撃練習。まぁ実弾訓練ではないでしょうね。なんかお祭りの射的で
頑張る友達を応援する図といった感じだ。
「世にうらやむものはない」 校歌でしょうか? 楽譜も載っているので
誰かニコ動の「歌ってみた」カテゴリーで発表してみない?
演奏会。たしかに上手だけど無味乾燥といった感じの演奏が聞えて
きそうだが、子供のやることなので笑って許すのが大人というもの。
「農産サークル室」昔から農業技術者を養成しておいて、今でも
農業が振るわないのはどういうことだよとツッコミたくなるのは
私だけではないはず。まぁこの子達の責任ではないけど。
「医学サークル室」どの程度のレベルまで教えていたのでしょうか。
刺繍をしているところ。先輩が後輩の肩に手を添える構図に現代の
日本の男の子達は萌えを感じるかもしれない。わからないけど。
劇もやるよ。「導きの星」という音楽詩劇の一幕らしいが、ここは
ひとつ日本向けに「導きの☆彡」と改題して幼女たちに演じさせると
オタク層にウケるかもしれない。わからないけど。
「工場、企業所に出かけて生産扇動を力強くくりひろげる宮殿
サークル員たち」 これで逆に生産効率が下がっちゃったのは
有名な話。 でも子供達からすれば善意だから嫌な顔はできな
かっただろうな。本当に楽しみにしていた人も一部にはいたかも
しれないし。
ということで、今回は父所有のアイテムから紹介させていただいた。
とくにネタがないとき、ネタはあるけど面倒なとき、実家の倉庫を
漁って適当なものを紹介するというのは私の常套手段なので「手を
抜くな」と怒らないように。