前回は→その11
糒(ほしい)は稲以外のイネ科の植物でも作られています。
皆様これ知っていますか?
なんだ、桜餅じゃない・・・そんなの知っているわ。当たり前よと思う人が多いですよね。
因み東京の人はこちらが
見慣れた桜餅ですよね?
ところが、関西人は、こちらを
桜餅だと考えると思います。
この二つの大きな違いはどこから来るか・・・・
上のは小麦粉を主体とした物でクルリと巻いています。
関西で食べられる、こっちの方の名前は、関西の道明寺粉という寺が作った原料を使用しています。その事からこのお菓子の名前は付けられたのです。
道明寺は大阪は藤井寺にある関西に実在するお寺です。そのエピソードはなかなか面白いのでご紹介したいと思います。
何と、あの道真公由来の原料なのです!
【道明寺糒(ほしい)の起源】道明寺ウェブサイトより引用
菅原道真公の伯母上が、この寺に住んで居られ、道真公が築紫に左遷された後、毎日、伯母の覚寿尼が九州に向ってお供へされたご飯のおさがりを、分かち与へたが、これを頂くと病気がなほるといふのが評判となり、希望者が多くなるにつれてあらかじめ乾燥、貯蔵するようになったのが糒のはじまりで、千年以上前の事です。
「ほしい」は純粋のもちごめを二日間水につけて、のち、むしあげ屋内で十日程乾燥し、のち二十日程天火で干してから石ウスにかけて仕上げます
関西では、桜餅に使われるもち米は、正確には「道明寺または道明寺粉」といいます。
その原料は今の時代にも存在し、100年以上前の1900年のフランスで開催されたパリ万博へ出品して、金賞獲得!
「巴里大博覧会金牌受賞」という実績を持つ非常に古くから知られたお菓子の原料です
【豊臣秀吉の文字はこんな感じ】
和紙の袋の上のこの道明寺粉の袋に書かれた「」という文字は、あの有名な豊臣秀吉が書いた字だそうです。
太閤秀吉は、こういう文字を書いていたんですね(^_-)-☆
江戸時代には金裡、将軍家に献納したのち、諸侯の求めに応じて少量づつわけてたが明治以後は一般民間にも販売するようになりました。
寒中に作つてあり幾年をすごしても変質、変色せず、昔は軍糧にしたもので行軍、山登りなどには欠くことの出来ないものです。
道明寺は黎明期の大和朝廷の有力豪族、土師(はじ)氏の根拠地であり、「糒」の備蓄に関わり大きな力を保持していたと言われています。
美味しいと評判のこのもち米由来の糒!豊臣秀吉も、軍隊の食事として非常に感謝していたそうです。という訳でコメの糒より、もち米の方が食べやすいのかもしれません。大阪近郊の方は是非入手して試されては?
さて・・・・次は、うって変わって、ガラリと変わるネタ(^◇^)話を本筋に戻しますね。
ヒント「トンボだけじゃない!お次は何が出るかな?」次回も面白いネタなので来てね(^_-)-☆
続きは→その13