~プロローグ~

 他天体からの魂転生の人間達の数が増えてきたという。諸外国にもその話はあり、彼らの話を聞くと適当でもないし、寧ろ納得するような知識を持っている。そういう感性や生まれる前の思い出にしっかり耳を澄ますと人類の長い歴史の中で消されてきた真実が全てパズルのピースを嵌める様に繋がっていく体験を私は沢山してきた。当事者だけに私は彼らの知識は本物であると確信している。

~以上~

 

【龍についての問答記録】

たかちほ「そもそも何で、地球の人間には竜が見える人と見えない人がいるのだろうか?」

カッピー「宇宙人の生まれ変わりの人なら見えるよ。地球由来の人は見えない」

たかちほ「そうなんだ。どうしてそんな違いが生まれるのだろうか」

カッピー「同じ動物でも種類によって、視界が白黒だったり、別の色が見えていたり、見える色の数が少なかったりする。それと同じ様な視野の違い」

たかちほ「現世の地球人で確実に見えている人達。本物は?」

カッピー「陰陽道の人、八咫烏の人達。彼らは火星由来の宇宙人。龍が見える人は宇宙人も見える。見えないならガセね」

(たかちほの回想)そうだ!あの人は「宇宙人なんてそこらにいるだろ?」と言っていた。それと撮影したUFOの写真を見せてくれた事を思い出した!

 

カッピー「陰陽道のアベノセイメイだっけ?妖怪とか物の怪とか表現しているけど、見えてもそうやって化け物とかと勘違いしている人もいるわ」

たかちほ「あっ。もしかしたら、妖怪と表現されているものが宇宙人かもね。どのみち一般的には見えない人の方が圧倒的に多いし」

 

たかちほ「しかし、なんだって龍を閉じ込めるとかやっつけるとかいう話があるんだろうな?別にそこら辺に大蛇が這っていたり、空飛んでたり見える人には普通にいるもんだけどね?」

 

 

カッピー「それは見える人だからこそ、閉じ込めるとかやっつけるとか言っている。そもそも閉じ込める方法を知っているのなんて原型が有るに決まっているでしょ?ゼロから知識で龍を閉じ込める方法がわかるわけがないでしょ?」

 

(たかちほの心の声)確かに。今まで当たり前すぎて気が付かなかったが。龍は(見える人にとっては)間違いなく存在するんだけど、それをいちいち閉じ込めようと考える以前にどうやって閉じ込めるか?という方法論はどこから来ているんだって話だよね。閉じ込めているのってどんな人だろう。

 

日本書紀に出てくるヤマトタケル。寺の坊さん。

たかちほ「でもさ。閉じ込めて何がしたいんだろう。そもそも自由に生きているんだから大きなお世話だろうって話」

カッピー「お金儲けがしたいんだよ」

 

お金儲け?はて?でもカッピーのこの端的な言葉に実は真実が隠されていた。以下を見てほしい。

お坊さんは大蛇退治の功により、時の領主から拾い寺の領と一寺を建立してもらいました。

~うん!確かにお金儲けになっていますね~

 

この手の話は実は腐るほど有りますが、そもそも閉じ込めるのがおかしいと誰も気がが付いていないようなので、以下の文面を色々ご覧頂きたいと思います。

 中国での龍の伝承の話と姿が想像され中国でその姿が色々考えられていましたが、今見るような龍の図が出来上がったのがこの頃という事でしょう。そしてそれが日本に伝わってきたので、中国で良く描かれているような姿が日本でも一般的だという事です。こういう感じのイラストや絵画等では定番の竜の事ですね。

 

【仏教でも龍の話が出てくるのですが・・・・】

仏教が伝来したときに蛇の精霊という所から仏教の「ナーガ」を「龍」と訳したという経緯が有ります。

なので上記の龍のイメージと混同されてきたという訳です。実際に仏教法典に書かれているナーガの姿というのは色々な姿をしている事が分かります。

●七つの頭を持つ蛇:上画像の様にナーガの蛇の頭は七つ

日本の七面天女は水龍ともつながり弁財天すると以下の半人半蛇の形式の像もある弁財天の像の姿に成程と思います。

●半人半蛇

山海経典等が思い浮かびます。以下画像全てWikipedia

①山海経               ②宇賀神・弁財天等

③溥儀と女媧

なので蛇的な物であるというだけで実際は冒頭で載せた現代では一般的とされる龍の姿をしていないのだという事が御理解頂けたかな?と思います。

しかし何故。上記の姿のイメージに一本化されてしまったかというと

ナーガも中国の龍も蛇が元になっているという共通項が有り、水の神様という事も共通していたのです。

なので同一のものという定義に変化していったという事です。

そして水は作物などに恵みをもたらし五穀豊穣をかなえる事から富、お金持ちになれるなどの話になっていたという訳です。確かに龍を閉じ込めた神社は有名だったり繁栄している事が多く見受けられますね。

なので私たちが龍に会う時にどうしなければいけないか考えてみて下さい。すると

【龍に会うのは二通りの方法が有る事に気が付きますよね?】

↓その方法とは?

なるほど、閉じこめると神社仏閣に行くか自然に行くしかなくなる。見えない人ならどうするか?

龍を閉じ込めましたという風に書いてある場所に行くのが確実だと思うようになる。

見えない人は、自然の中で自分で龍が何処にいるか探せないから・・・・

段々分かってきましたか?龍を閉じ込めるメリット。

 

では龍がそんな悪いのか?について紐解いていくと・・・・

※以下画像全て僧侶インフォメーション様より引用

あれ?って思いませんか?尊い存在と仏教では言われているのに閉じ込めたり、いじめたり、首を切ったりとか退治したりとか何でするんだろう?って

そうです!実がここが盲点です!

 

以下をご覧下さい

私はこれを見て気が付きました。寺社仏閣で龍を封印しているのって渡来系の秦氏。八咫烏とか。神道って景教とかも入り込んでいるし。キリスト教ユダヤ教徒も親和性が深いでしょう。そう考えていくと以下の様にも考えられます。

どう見ても私は彼らは龍にドラゴンの定義を当てはめて龍を亡き者にしているって事でしょう。七つの頭の龍的なものと言えば黙示録が思い浮かびます。

 

Wikipediaより引用

わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十本の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた(新共同訳13:1-2)

~以上~

つまり、実際に彼らは権力が有るので七面天女のナーガから実権を貰ったか奪ったかって事でしょうどう見ても。実際にそうなっていますし。

 

【では、最後に僧侶の方に質問です】

仏教で大切に考えられている龍を切ったり閉じ込めたりとか自分でしたいと思った事がありますか?という話。悪い龍とか盛んに伝説には残してありますが、今現在も普通に滝とかに龍は居たりしましたが、例えば水の加減をうっかり龍があふれされて人間に迷惑をかけたからって切り刻んでやるとか思うんですか?という話です。洪水はもろ刃の矢で土地の豊饒も示すのです。

そして何より仏教って殺生を禁止しているんじゃないですか?

地球の物体で出来ていないので一般には見えない龍体では有りますが、意識のある生命体でしょう。なのに殺しますか?って話です。

~以上~

 

何卒、竜を虐める矛盾を分かってくれたらと思います。

お釈迦様は大乗経典にも描かれているように龍と対話しただけだと思います。龍は悪だから切り刻めという教えだったか?

お釈迦様自ら龍の首を刈り取ったりしていますでしょうか?

という話です。

 

こういう事を言ってるのって日本書紀だけでしょ。ヤマトタケルが龍を退治しただのなんだのって。

”ヤマタノオロチ退治に九頭龍の影を見たり”

 

続きは→その②