前回は→その②

 え~そんなぁ!と思う題名だと思いますが、シンプルに考えてみてもそうとしか言いようが無かった。

 

たかちほ「じゃあ、龍を閉じ込めてしまうとするじゃない?すると龍も意識がある訳だし、嫌な思いとか恨みに思っていないだろうか?」

カッピー「閉じ込めた人に必ず仕返しに行くよ」

たかちほ「でもさぁ、世の中見るとそんなでもないよ。むしろ私腹を肥やしてるし名前も売れているんじゃない?」

カッピー「そう見えているだけ。必ず仕返しがくるよ(笑)」

たかちほ「自分の家に龍を閉じ込めたらめっちゃお金持ちになれたりして(ФωФ)フフフ・・・・やってみたらそうなるかなぁ( ´艸`)」

カッピー「可哀そうだよ。やめなよ。それとさっき言ったみたいに必ず仕返しが来るよ」

たかちほ「どんな仕返し?」

カッピー「大地震が来るよ!やった人は最終的には罰を逃れることが出来ません」

 

【タカチホの回想】

うん・・・確かに丑寅の金神が解放されたら天変地異が来るという。もしかして文明の始まりと終わりに龍が必ず出てくるのって、文明がある程度になると壊したくなくて必死で龍を閉じ込めた過去が有るのかも。人類はそれを繰り返しているのかも!

確かに龍が閉じこもってもある程度の大きな災害は来るけど壊滅させるようなパワーを持っているのが、やっぱり丑寅の金神・仏教では水龍・ワシュキツというアナンダなのかも。

 

【実際に龍が閉じ込められている場所を観察してみると】

岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、それにより世界に明るさが戻った。という有名な神話が有ります。その、岩戸の扉の話が別の場所で残っているのですが、タヂカラオが放り投げた岩戸の扉が信濃国戸隠山に落ちたという伝説がある。実際に戸隠神社の祭り神はタジカラオです。

~引用以上~

 

つまり天の岩戸の岩戸=戸隠神社で九頭竜を閉じ込めた岩戸

 

上記を理解してから下記すのリブログを見た頂きたいと思います。

上記の記事はとても大切なので全て読んでいただきたいのですが、中でも今回重要になってくるのが以下の部分です。

戸隠山の九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である。鎌倉中期に記された『阿裟縛抄諸寺略記』の中に、西暦800年代の中盤頃の話として、「学門」という名の修行者の法華経の功徳によって、九つの頭と龍の尾を持つ鬼がこの地で岩戸に閉じこめられ善神に転じて水神として人々を助けたという言い伝えが残されている(調伏善龍化伝承)。

その後、九頭龍権現として崇められ雨乞いが行われた

戸隠神社にまつわる九頭龍の逸話が残っています。

 

●嘉祥2年 (849年) 頃、学問という名前の行者が大きな岩窟で法華経を唱えていると、南方から九頭龍が現われて、「私は、元は人間で別当 (大きな寺の事務を総括する職務) であったが、仏に供えられた財物を着服してしまい、このような姿になってしまった」と言いました。学問行者は法華経を唱えてやると、九頭龍は成仏し、岩窟に身を隠しました

学問行者は大きな岩で岩窟を封じると、九頭龍はやがて水神としてその土地の人々を助けたといいます。後に、九頭龍は九頭龍権現として人々から信仰を受けるようになりました

~以上~

 

つまり、天照が閉じこもっていた、岩窟の岩戸で九頭竜を閉じ込めているのです。岩を使うと龍を封じることが出来るのやもしれません。ナガスクネの墓にも大岩が載っています。

弁財天の伴った龍が水龍という事から考えると九頭龍を閉じ込めたわけですから、それを使役する天照の事もウザかったと解釈できるわけです。そう考えていくと、天照は自分で閉じ籠ったわけではなく、閉じこめられたという風に考えられませんでしょうか?正体がなんであるか分からなくする封印を施して。ニギハヤヒと卑弥呼はともに天照ともいわれているので実際に隠蔽しているでしょ。ピラミッドは天皇家より前の王朝の施設なのに神武を必ず被せてくるのは日本のピラミッドを書いた酒井氏も指摘している事です。

~以上~

 

そのヒントになるのが以下の文章です。

アマテラスが天岩戸に隠れた時に岩戸を開いて、アマテラスを外に出した力持ちの神様。

~以上~

 

天照は女性ですよね?力持ちの神様が岩をこじあけたんですよね?なのにその岩の扉を一人で軽々と閉じて閉じ籠れますか?物理的に不可能ですよね?

 

そしてタジカラオがそんなに力持ちだと言うのなら、はなっから閉じ籠ったとたんにすぐこじ開けています。何故暫くしてから取り去るのでしょうか?世間が真っ暗になってみなさん困っていたんですよね?

 

つまり暫く幽閉していたからではないでしょうか?それをデフォルメした神話とういう風に私は疑問を持ちました。

 

どのみち九頭龍を虐めたことは言い訳できませんし、岩戸が決して良い事にだけ使用されていないことは確かでしょう。