~プロローグ~

 染色体の判定というのは、昔はそれほど精度が高くなかったという事と、あとは状態が良い遺骨が見つからなかったという事も手伝いなかなか高精度で解読するのは難しかった。だがしかし現在の日進月歩した解読技術と、北海道の礼文島の船泊遺跡から発見された状態の良い遺骨が発見された事により、古代日本人のDNA研究が大きく躍進したのであった。

~以上~

 

 遺伝子から続々解明される縄文人の起源 

~高精度縄文人ゲノムの取得に成功~

平成31年5月13日 独立行政法人国立科学博物館

 

詳しく知りたい方は論文その物をご覧下さい→こちら

 

さて、これを基に私の方では、礼文島の遺跡の話や、人流の話をして行きたいと思います。

 

 まず今回議題に上げた人骨が何処から発見されたか?と申しますと、北海道に有る【礼文島】という島です。赤いポインターのところが礼文島です。

この礼文島には船泊遺跡という縄文時代の遺跡が有ります。その遺跡から平成10年(1998年)に船泊23号人骨というものが出土しました。

●約3500~3800年前の縄文時代後期

●女性

ご覧の通り、礼文島は日本の北側に属し温度も低い為。非常に良い状態で残された人骨だったのでDNA最終出来、結果的に現代人並みの高精度の解析を行う事が出来た。

※生命誌研究所 国立博物館記述参照

1980年代から縄文人のミトコンドリアDNA解析が行なわれてきた。しかし、ミトコンドリアDNAは母系遺伝であり、ゲノムサイズも小さいので遺伝情報が限られている。私たちはより詳しい歴史を知りたいと考え、縄文人の核ゲノム解析に挑戦した。東京大学総合研究博物館に所蔵されているおよそ3,000年前の縄文人骨(福島県三貫地貝塚から出土)から大臼歯を取り出し、作業途中に実験者のDNAが混入しないよう細心の注意を払い、専用のクリーンルームでDNAを抽出した。配列を調べると大部分は死後に歯の内部に侵入したバクテリア(真正細菌、古細菌)などに由来すると思われるものだったが、わずか数%程度、縄文人に由来するであろうDNAが含まれていた。ここから、縄文人ゲノムの4%ほどを占める、1億塩基を越える配列データを得ることができた。これを現代人の配列と比較することで、縄文人の独自性と日本列島人の成立過程が見えてきた。

遺骨の大臼歯からDNAを採集し出来たそうです。

ちなみに大臼歯とは?コトバンクより引用

写真:(画像:国立科学博物館)から引用

向かって右が発見された人骨。向かって右が人骨から復元された生前の顔

大臼歯からDNAを採集しました

 

【縄文時代が始まる前から日本に居た縄文人】
解析DNAの配列を東アジアで現在暮らす人達の配列を比較したところ、縄文人の祖先となる集団が大陸と日本に分かれて住むようになったことが分かった。

つまり大陸から日本人の祖先がやってきたことが遺伝上では明らになったのだ。その時期というのが、判明したのだが

①約三万8000年前から約一万8000年前の間である事が判明した

縄文時代は一万6000年前から約三千年前と言われています。

つまり縄文文化が花開く前からずっと日本で暮らしていて段々に土器とかが作られるように文明が築きあがってきたという事なのでしょう。

【その他遺伝子から分かる縄文女性の特徴】

●髪の毛:補足縮れている

●瞳の色:茶色

●肌:シミが出来やすい

●肌色:茶色っぽい

●耳垢:ウェットタイプ

●お酒に強い

●高脂肪食に適した遺伝子

※礼文島に居住していたので、海に住むアシカなどを食していた。アシカは脂肪分が多いのでそういった食生活に適合して行ったとの事。

~以上~

 

 上記の様な不随情報が分かる程現在のDNA鑑定は進んでいるのですね。

 

因みに、現代人は縄文人のゲノムの約10%を受け継いでいるらしいことも判明したそうです。次回は縄文人と弥生人のゲノムとの比較もして日本人の成り立ちについて解説して行きます。

 

つづく