武田信玄の本名は『新羅三郎義光: しんらさぶろうよし みつ』といいます。この件に関してWikipediaや、インターネットでは「滋賀県の 新羅善神堂(三井寺の近く)で元服をしてこの 名前を授かった、新羅人ではない」と書かれ ていますが、色々な文献などを見るとこの情報は間違っていると指摘をする人も居ます。それではその根拠について書いていきます。

 

①ルーツをたどると、先祖は『源義光: みなもとのよしみつ』 です。

②渡来人文化の書籍 などで有名な、金達寿氏の『日本の中の朝鮮 文化 7』にも武田信玄の先祖は渡来人と書か れています。

③『新羅大明神祀記』小笠原基長著作

「新羅善神堂は元々朝鮮半島渡来人の大友氏 の神社であり、創建を新羅三郎義光がたずさ わり、その上、新羅大明神の氏人(同族の意 味)である。」と書かれています。滋賀県の新 羅善神堂は新羅系渡来人が建てただけでな く、義光自身が氏神を敬ったということなの です。また氏人とあることから新羅人という ことも分かります

※上記に書いてあるように武田信玄ルーツをたどると、先祖は『源義光: みなもとのよしみつ』 と明記されています。つまり先祖が朝鮮人という事ですね。

④その他、新羅善神堂や、静岡県 浜松市史書などにそう書かれています。

 

【内容をまとめると】『新羅国: しらぎこく : 신라 국』の人

●『信玄の母の系統 も朝鮮半島渡来人』

●『武田信玄直系も朝鮮半島 渡来人の血筋』

つまり武田信玄は朝鮮半島渡 来人の血を色濃く引き継ぐ人物

●余談ですが信玄の旗『風林火山』とういう言葉は朝鮮の軍事方法の名称です

 

つまり現在の Wikipediaや、インターネットなどで書 かれている『源義光が新羅善神堂で元服して 名前を新羅三郎義光にした』というお堂の名前からネーミングしたというより。新羅三郎義光と名を改めたのは、自ら新羅一族 の後裔(子孫)であると名乗っているだけだと思われます。

 

詳しい人たちの記述を読むと武田信玄を昔から日本人だったような書き方をしているのは明治時代以降であり、この件に関して明治時代以降の歴史湾曲の一環であるという風に分析しています。

 

この件について私が思った事は、私は別の観点から武田信玄が朝鮮から来た人(あるいは血統が朝鮮人)なのではないかなと思いました。何故ならこの人の子孫の僧侶が龍をやっつけているからです。前回までに私が話した龍は仏教の守護神なのに何故切り刻んだりするのか?そういうお坊さんは調べると渡来系だったりするからです。

 

龍を閉じ込めても効果が無かったので嘘だと分かる

つまり原住民のミシャグチ様を弾圧する事が目的だからではないかなと私は見ているからです。

 

次回から、この武田信玄の子孫の僧侶とは一体誰なのか?という話を含めながら竜神について語っていきたいと思います。