いきなりショッキングなタイトルで申し訳ないです。

e-kids とよ先生です。

 

このタイトルの意味する事をこれから書いていこうと思うのですが、

子どもへの暴力を助長するものではなく、

私たち大人、教育者の責任感の大切さを問いかけているこの記事に

お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

先日、日本のトップクラスの大学で体育会系の部でコーチをする方と

お話しする機会がありました。

 

今の大学生の挨拶の出来なさの話や、

「こうやって導いてあげないと自分では考えないんですよ」

というお話しがとても興味深かったです。

 

その内容を持ち帰って1人で考え、感じた事がありました。

 

日本のトップクラスの大学の話と凶悪犯罪の低年齢化が繋がったんです。

 

日本のトップクラスの大学に在籍する学生たちは(もちろん例外もありますが)

平均を取れば日本の中では裕福な家庭で育った人たちです。

 

そんな学生達が大人から見て十分な挨拶ができない。

学生時代、若い頃の挨拶なんて

目上の人を気持ち良くさせる為の挨拶でいいじゃないですか。

それができない。

 

日本のトップクラスの若者達がガクンとレベルの下がった状態という事は、

それは連鎖して、日本で教育がまともに受けられないような若者達はガクンと、

挨拶ができないレベルでは済まない状態に下がってしまうのではないかと

凶悪犯罪の低年齢化に繋がったわけです。

 

ここでタイトルの「ゲンコツの必要性」なんですが、

子どもの頃に

「俺らが何やっても大人は大きな声で怒鳴るくらいが精一杯、ゲンコツはしてこない」

という、世界で生きていくのは危険な事なのではないかと思いました。

 

これは、教育者サイドから見ると、

責任を持ち担当した子の心に問いかける教育をしなければいけない。

になると思います。

 

「コーチが怒ってはいけないバレーボール大会」

こんな極端な大会が必要なほど、

今まで無法地帯で大人(=コーチ)が自己満足で怒ってきてしまったんでしょうか。

 

スポーツのコーチをして選手と一緒に勝利を目指せば怒ることだってあるよ。

でも、大人という立場を卑怯に使っていないか、

選手と対等の立場のコーチでいるか、

などは教育者として責任を持って考えなければいけない事です。

そういう大会が開かれているということは

点で怒っている大人がいるということかも知れません。

 

世の中で究極の線引きがされる時は危険信号。

 

失敗や忘れ物、遅刻、悪い事しちゃったら、

「ごめんなさい!ゲンコツ下さい!」

って自分から先生に頭45度に出してデカい声で謝っちゃえ!

ちゃんと正直に謝ってもらうゲンコツは痛くないから。

逃げて隠そうとして追いかけられてもらうゲンコツ程痛いものはないぞ。

 

って、e-kidsで伝えたい事ももう「暴力の容認」になってしまうから変えていかないといけないと感じています。

 

人は愛されていると感じると生きる力が生まれてくる。

「愛の必要性」ですね、私が言いたかった事、多分。

 

考え続けます。

押忍

e-kids とよ先生