発達障害や愛着障害の人に「努力アレルギー」の人が多い理由。 | 若干美形なオバハンがぶつぶつ。

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発達障害や愛着障害の人に「努力アレルギー」の人が多い理由がなんだかわかった気がする。

「努力」という言葉には「熱中」や「一生懸命」というようなワードにはあまり含まれていないニュアンスが含まれているのだ。

それは「ベクトル」だ。
ベクトルは大きさだけではなく、「方向」というものを持っている。

つまり、「熱中」やら「一生懸命」は「大きさ」を単位に持っているけれど、
努力は「ベクトル」なので、成果がでるような「方向性」を持っている。

すると当然、とんちんかんな方向に熱中してしまうと、その「努力」はマイナスになってしまうこともありうるのだ。
しかし発達障害や愛着障害の人は方向音痴な人が多い。
これが、発達障害の人がいくら頑張っても「努力が足りない」「努力したうちに入らない」と言われてしまう一因となっている。

多数派が「努力している自分」が楽しくて自己肯定しやすいのとは裏腹に、方向音痴な人は「頑張るほどなぜか目標が遠ざかる」ので自己肯定できないのである。

だから方向音痴な人はとりあえず「努力」を別の言葉で置き換えてみたら楽になるんじゃないかと。
「過集中」とか「探求」とか「跳躍」とか「行動」とか。

方向性なんて考えるのはきっとそれができるようになってからでいいのだ。
子供になったつもりで方向性を探るのだ。
もちろん見た目が大人なので、子供みたいに誰かが教えてくれることはないけれども。

#毒つぶ