ふんわり風船ハート みぶき えみ@月の記憶の声を聴く人

   

月の記憶の声を聴きながら綴る

みぶきえみの世界観🌙

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前のお話

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初めて勤務したのは

外科病棟。

 

当時は、外科で手術をした患者さんは

その後、再入院しても

外科で受け入れるのが普通だった。

 

今なら、終末期なら

緩和ケア病棟という選択もあるけど

当時はなかった。

 

 

なので、入院患者さんは

手術後の人と終末期の人が混在し

とても忙しい病棟だった。

 

私たちの時代は

看護婦国家試験の合格発表は

4月末だった。

 

なので、就職した時は

「看護婦心得」

言ってみれば無資格者ガーン

 

けど、合格するということが前提で

看護師の業務も教えてもらってた。

 

私たちの頃は

看護学校時代から

採血なども実習で経験していた。

 

そして、合格がわかった途端

夜勤が始まる。

 

病棟に就職して3週間で

初めての夜勤をすることになった。

 

初めての夜勤の日

看護師は私を含めて4人。

 

とはいっても

当時は外科病棟に併設されていた

ICU(集中治療室)担当が

ひとりだから

病棟は3人の看護師。

 

その日は、手術日で

手術後の患者さんが3人くらいと

重症の患者さんが2人。

 

私は、先輩と一緒に

重症の患者さんを

見ることになっていた。

 

勤務開始からバタバタしてたけど

20時を過ぎた頃

手術後の患者さんが急変した。

 

先輩ふたりは、その患者さんに

かかりっきり。

 

ドクターが来てからも

あれやこれやと処置があったと思う。

 

先輩たちは、その部屋から

なかなか出てこなかった。

 

私が任されていたのは

すでに、余命告知もされ

ご家族も揃われている方だった。

 

今のように、自動血圧計とか

モニター類なんてない。

 

唯一ついてるのは

心電図のモニターだけ。

 

15分に1回、訪室して

血圧を測るのだけど

 

大勢の家族に囲まれているので

すごく緊張した。

 

血圧計も、当時は水銀の血圧計で

聴診器で聞く。

 

 

緊張しすぎて

自分の鼓動も大きくなり

 

トントンと聞こえる音が

患者さんの血圧なのか

自分の鼓動なのか

わからなくなるくらいだった。

 

下がっていく血圧を

先輩に報告しても

 

「あの人は見てればいいから

 レート(心拍数)が落ちたら呼んで」

 

といわれるだけだった。

 

それは、亡くなることがわかっていて

ご家族も受け入れているということ

だったんだろうと思う。

 

けど、重症の患者さんを

ひとりで担当するのは初めて。

 

 

怖くて怖くて、仕方なかった。

 

 

先輩は、手術後の患者さんに

かかりっきり。

 

そして、その夜は

私が担当していた方が亡くなり

先輩たちが見ていた手術後の方が亡くなり

明け方には、もうひとりの

重症の方も亡くなった。

 

初めての夜勤で

3人の方をお見送りすることになった。

 

そして、それからも

 

私の勤務では、患者さんが

亡くなることが多かった。

 

もともと、亡くなる人が多い病棟。

 

けど、私の観察や処置が不十分だから

人が亡くなるんじゃないかと思うと

すごく怖くなった。

 

 

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