31 容易にはJWをやめられない②-良い会衆 | エホバの証人(JW)について考えるブログ

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弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

この当時に、すぐにエホバの証人をやめられなかった理由がもう一つありました。

 

それは、私が戻った地元の会衆が奇跡的に「とても良い会衆」だったからでした。

 

あれだけ頑張っていた自分が何の特権もない状態で自分の育った会衆に帰り、

しかも、組織から禁止されている大学に進学し、明らかに霊的に一気に弱り始めていたわけで、

陰口をたたく人や面と向かって「助言」をする人もきっといるのだろうと思っていたのですが、

 

驚いたことに、私に対して消極的なことを言う人は一人もおらず、

長老も含めて、全員が全員、温かく、そして静かに見守る感じで接してくれました。

 

これはおそらく、自分が今までどれだけ霊的なことに打ち込んできたのかみんな知っていたので、一定の敬意を示してくれたことと、

大学に行って法律を勉強し始めたということで、「きっと何か深い考えがあるのだろう」と善意に解釈してくれていたのだと思います。

 

【戻った地元会衆での生活】

 

●集会で

 

私は、地元の会衆に戻ってから、まず、野外奉仕に出る時間は極端に減りましたが、注解だけは毎回、しかも何回かしていました。

数年にわたり異常といえるほどの量の個人研究をしてJW教理・聖書知識が徹底的に頭に入っていましたし、

べテルや訪問講演先で、いろんな経験・「例え」・エホバの証人的に言う「教える技術」が頭に入っていましたので、

 

「ここでは協会はこういう理解を求めているから、こういう注解をすれば、真の意味がわかるな」とか、

「ここでこういう内容を言えばみんな感動するだろうな」とか、

「この知識は誰も知らないだろうな」

というようなことがすぐにわかったので、要所要所で「感動的な注解」を毎回していたので、

会衆の兄弟たちは本当に感動して、たかだ注解なのに、いろんな人に「お礼」を言われる毎日でした。

 

神権宣教学校での割り当ても同様で、なにせ何年にもわたって学校の監督をしていましたし、公開講演は月に3回以上はしていましたし、何より洞察の本や霊感の本、そして過去の出版物の知識がほとんど頭に入っていたので、当時の「第4の話」は、原稿をもたずに聖書を一冊持っていれば、すぐに話ができました。

 

例えを駆使し、聖書の文脈や相互関係についての説明を駆使し、そしてエホバの証人組織で習った「こういえば兄弟たちは感動し、喜ぶ」という知識や感覚を駆使して、原稿なしで聖書だけをもって割り当てをしていたので、これもまた極めて評判がよく、「早くIM兄弟の公開講演を聞きたい」とみんなに言ってもらっていました。

 

エホバの証人教理がおかしいと気づき始めていたとはいえ、個々の兄弟たちは日本語会衆ではやや疲弊していて、そうした「真に教える技術」に飢えていましたので、そうした技術を提供してみんなが喜んでくれるのは、それはそれでやはりうれしいことではありました。

 

ただそれと同時に、「何かがおかしい」と気づいてから刻々と確実が時が流れてゆき、それに伴いエホバの証人教理の偽善への確信が深まるにつれ、「このようなうわべの嘘の教理を教えて兄弟姉妹たちの人生を狂わせるのは偽善的なことだ」と、ひしひしと感じるようにもなっていきました。

地元の会衆に戻ってから1年くらいは自分でもどうすべきか方向性が定まらず、

最初の半年くらいは、数回割り当てをしましたし、注解も結構な数していたと思います。

 

●集会以外で

 

同じようなことが、集会後の交わりの時などにも起きていました。

 

外国語会衆でのいろんな経験が多く、一時的とはいえべテルにいてその内部情報に詳しかったわたしの世間話はとても面白いようで、何の特権もない私でしたが、集会が終わると、周りに兄弟姉妹たちが輪を作ってくれて、いろんな話をして、喜んでくれていました。

 

特に、自分が狂信的にエホバの証人活動をしていた時は、(エホバの証人的表現を使えば)真に弱っている人への真の気遣いというところまでは全く手が回っていなかったと思いました。

会社での関係、家族との関係、健康状態について本当に困っている人たち、つまり霊的なことと関係なく大変な悩みを抱えている兄弟姉妹たちは、精神的な真の気遣いを必要としていましたが、霊的なことと関係のないことに関しては、こうした人たちは、おおむね、どこでもないがしろにされ、「霊的には頑張っていない」ので軽視されていました。

 

この当時、私は、長老でも奉仕の僕でも開拓者でも何でもありませんでしたが、軽い世間話のようにそうした人の話を聞いてあげて、

「そういえばこんな聖句があった」

「そういえば過去の出版物にこんな話があった」

というような感じで、全く肩ひじ張らずに、敬語さえ使わず、エホバの証人どうこうというよりも、「人として」普通に思う励ましの言葉を、一応、聖書や出版物を使って投げかけて励まし、そして、次にあった時、さらにその次にあった時、やはり肩ひじ張らずに、しかし継続して「どうなっているか」を気にかけて聞いてあげるようなことをしていました。

 

何人かの兄弟姉妹には、「助言や牧羊と称して第二会場に呼び出されて苦痛な時間を過ごすよりよっぽど気が楽になる」と言ってもらえることが多く、「会衆にもう一人本当の長老がいるみたいだ」などと言ってもらうこともありました。

 

今にして思うと、こうした励ましをすることで、兄弟姉妹たちが引き続きエホバの証人活動を頑張るように励ましていたとしたらとんでもないことと思いますが、ただ当時の私としては、まだマインドコントロールが完全に解けていない、解け始めている混乱期でしたので、こうしたことをしてしまっていました。

 

また、当時の会衆では長老たちにも恵まれましたし、逆に言うと、そのことがエホバの証人を離れる踏ん切りを遅らせることにもなりました。

 

この会衆の主催監督はかなり長い間特別開拓者をしていた兄弟で、しかも私が子供のころに私がいた会衆で奉仕の僕になった兄弟でした。

この兄弟にしてみれば、自分の子供のようなIMがまさか真理から離れるということはないだろうという確信があったのだと思いますし、

私が歯に衣着せずに組織内の間違ったことを指摘しても、「まあまあ」みたいな感じで包容力をもって接してくれました。

 

もう一人いた若い長老は、身体的理由で開拓奉仕をできていなかったのですが、そんな兄弟は、

徹底的な開拓奉仕を必要の大きな場所でやってきた私に強い敬意を示してくれていて、そのことを人に話してはばからない人でした。

彼が近隣の会衆の訪問講演に行くときに誘われてついていくこともあり、

私がそのときに昔の経験を話して、みんなが驚いたり感銘を受けたりしているのを、横で嬉しそうに聞いている人でした。

 

そんなような生活が、半年から1年弱くらい続きました。

 

●巡回監督と

 

この頃、ある巡回監督との間で、とても珍しい経験をすることがありました。

 

私は、地元の会衆に戻った当初は、野外奉仕もボチボチでていたのですが、

戻ってから最初の巡回訪問があった時、長老たちが気を利かせて勝手に巡回監督との奉仕を割り当ててきました。

 

その巡回監督との奉仕で、1件目を訪問し終わった後に世間話になり、その巡回監督が、

「いや、世の組織は本当にひどいですよねー」

というような話をしてきました。

 

私はこの頃、もう白々しい話をするのは嫌だったので、

「海老名べテルのほうがよほどひどいところもありますけどね」

と言い切ってしまいました。

 

そうすると、この巡回監督はすぐに立ち止まって、

「兄弟、それどういう意味ですか?」と顔つきを変えて真剣に聞いてきました。

 

私は、「しまった、何か助言されるか、それかもっと厄介なことになるかな」と思いましたが、

もう白々しいことは言わないと決めていたので、べテルのおかしいと思うところについて、簡潔ながらはっきりとその兄弟に言い切ってやりました。

 

ところが、びっくりしたことにその巡回監督は、

「いやIM兄弟、私もね、同じように感じることがあるんですよ

と言い出して、なんと、一緒に奉仕する予定だった30分くらいの間、まったく野外奉仕はせずに、ずっと真剣な立ち話をすることになりました。

 

しかも、立ち話と言っても、その内容は、その巡回監督の「愚痴」「悩み」「不安」をずっと聞いてあげる、というものでした。

 

その巡回監督の話というのは、

・「自分が、組織の運用で少しおかしいと思うところがあったので、協会に提案の手紙を送った」

・「そうしたところ、すぐに奉仕部門から返事が来て、『新しい任命』として、特別開拓奉仕に移るように指示が来た」

・「協会の考えていることはわかる。IM兄弟も想像がつくだろうが、すぐには特権をすべてはく奪するつもりではないだろうが、まずは特別開拓者におろして、その後1年もすれば正規開拓者に下ろされるのは目に見えている。」

・「自分はこれまで誠実に巡回奉仕をしてきたし、今回の件も、考え抜いて、兄弟たちのために良かれと思って提案を送っただけなのに、すぐさま巡回監督削除の対応が来た。これからどうすればよいのかわからないし、べテルの奉仕部門に本当に裏切られたと思っている。」

そういった話でした。

 

「なるほど、巡回監督も本当に大変だし、べテルの内部情報を知っている人の中には、自分と同じ感覚を持つ人が多くいるのだな」と思いましたし、「特権をどんどん与えられて舞い上がっている人はそれに気づけない。特権を失う段になってそれに気づく人は多く、気づいた時にはエホバの証人的にはもう終わりなのだな」と強く思いました。

 

結局、その巡回監督は、その週の訪問で、もう2度とその会衆には来ないことになっていましたので、

日曜日の集会が終わったあとの「宿舎」でのお別れ会的な交わりが、その人にあった2回目の機会、そしその人にあった最後の機会になったのですが、おそらくその会衆内で、本当に思っている心の内を話したのは私だけだったようで、私のところにだけ最後に来て、「IM兄弟、とにかくお互いに、今後の人生を頑張りましょう」と声を掛けられ、なんだか胸が詰まりました。

 

【時間がかかった理由】

 

このように、私は、大学に入って一気にエホバの証人の偽善に気づき始めた一方で、

実際に完全にやめるには、1年強の期間がかかったと記憶しています。

 

その理由の1つは、この会衆の集会に行くのをなかなかやめることができなかったからだと思います。

 

マインドコントロール研究の権威で、立正大学教授の西田先生は、その研究の中で、

「マインドコントロールを解くには、①環境または習慣、②外部からの教育、③自分自身がそれを求める感情、の3つの要素のうち、少なくとも2つを取り除かなければ難しく、1つの要素だけを抜いたのでは、ほかの2つの要素によりマインドコントロールが引き続き維持される」と書かれていたように思います。

 

私についてもまさにこれが当てはまり、

③エホバの証人組織及びその教えの偽善にどんどん気づいていき、もはや、これを信じ続けることはできない、

と感じてはいましたが、

①集会に行き続けるという「習慣」を維持し、エホバの証人組織という「環境」の中に身を置いていましたし、

②そこでは、ほとんど信じていないとはいえ、エホバの証人の「教育」を受け続けていましたので、

 

この、「集会に行くという環境」、「熱心な信者である母親と一緒にいるという環境」を変えない限りは、

完全にエホバの証人教理から決別するのは困難な状況であったのだと思います。

 

この点でも助けになり、私の人生を救ってくれたのは、「世の友人たち」でした。