前回書いた通り、私は、エホバの証人組織も教理もおかしいと急速に気づきながら、
①地元の集会に行き続けていたこと、
②母親からのとてつもない圧力があったこと、
という理由からエホバの証人活動を完全にやめきれない日々が1年程度続きました。
そのような中で、エホバの証人組織との関係を完全に断ち切るのに助けになってくれたのは、またしても「世の友人たち」でした。
【その後の彼らとの関係】
大学入学直後に素晴らしい友人たちとの出会いがあったことはすでに書きましたが、
その後、彼らとの関係はさらに深まってゆき、大げさではなく「家族」と評価してもよいほどに深い信頼関係ができていきました。
もっとも仲の良かった、同じクラスの一人の友人はかなり遠方の地方出身であったため都内のマンションに一人で生活していました。
この友人は非常におおらかでしたし、人のことが大好きだったので、自分がさみしいということもあり、毎日のように彼の家に友人たちが入り浸り、泊まり、挙句のはてにはみんなで掃除・洗濯・料理の家事分担もするようになりました。
彼は、合いかぎをいくつも作って友人みんなに渡し、彼の家には必ず誰かひとり、多い時には2,3人が毎日泊まる状況になっていました。
そして、そのようにして彼の家に一番入り浸っていたのは、ほかならぬ私でした。
その彼は、日本でも有数の進学校出身者でしたので、私たちの大学以外の東京の他大学に進学してきた友人たちのほうが交友関係が多く、私も彼と付き合ううちに必然的に他大学の友人がとても多くなってゆき、彼らとは本当に素晴らしい時間を過ごしました。
やがて彼は、同じ高校出身で他大学に行っている友人の家に同じように入り浸り、自分の家にはほとんど帰ってこなくなったため、彼はその友人の家に住み、私は彼の家に住み、10人くらいの気の合う仲間たちが、それぞれの家のどこかで交互に生活するというなんとも学生らしい生活をするようになってゆきました。
・大学のキャンパスにいるときは、授業も出ないで陽の当たるベンチに座って二人でただぼーっとしたり、
・みんなで買い物に行って夜は鍋をして、酒を飲みながらバカな話に興じたり、或いは将来のことを真剣に話したり、
・誰かが何かのことで悩んでいれば、肩ひじはらずにしかし真の気遣いに基づいて励まし、
そうした素晴らしい時間を一緒に過ごしました。
大学生だったので、そうした素晴らしい時間は非常にゆっくりと、そしてふんだんに流れていく日々でした。
そして、そうした幸せな日々が来る日も来る日も流れ続け、「今日は幸せだった、明日もきっと同じように幸せなんだろう」と確信する日々でした。
この頃は、生きてる瞬間、瞬間に「なんて幸せな日々なんだろう」と心から実感しましたし、今振り返ってもそう思います。
【誕生日の思い出】
あるとき、大学に入って初めての、私の誕生日の日が来ました。
もちろんそれまで誕生日を祝ってもらったことなどなかったですし、
その時すでに始めていた法律の勉強があまりに忙しくてすっかりそのことを忘れていましたが、
突然、その一番仲のよかった友人から、
「お前、今日の夜、7時に、〇〇駅の改札に必ず来いよ」
と電話がありました。
そこは、みんなが入り浸っていた、もう一つの他大学の友人の家の最寄り駅でした。
私はその日は結構いそがしかったですし、「なんなんだ一体」と思いながらも、有無を言わさずに来いという話でしたのでいぶかしく思いながらその駅に行きました。
電車を降りて、改札に向かう途中、何人もの人がへたくそな歌を合唱しているのが外から聞こえ、
その時はその歌のことをあまり気にかけませんでしたが、改札まで行ってみて本当に唖然としました。
その時に仲の良かった、いろんな大学の友人たちが10人くらい集まり、ズラリと並んで、
男の子は全員、これでもかというくらいの派手な女装をし、
女の子は全員、仮面舞踏会のような仮面をつけてドレスを着て、
全員で大きな声で、「ハッピーバースデー、IM~♪」と、私のために誕生日の歌を歌っていました。
駅員さんは爆笑しながらも困ったような顔で、苦笑しながらその友人に、
「なー、もうあんたたち、帰ってくれないかなー」と話しかけていて、
その友人は駅員さんに、「いや、もう少しで来るんです。もう少しだけ待ってください」と一生懸命にお願いしていて、
まさにそのやり取りをしているところに、私が到着しました。
もう驚くなんてレベルではないほど驚きましたし、
嬉しいなんて言うレベルではないほど嬉しかったです。
そのまま、その「もう一つのたまり場」になっていたもう一人の他大学の友人のアパートに行き、
朝まで誕生会を開いてくれて、私を飲ませるための「飲みコール」まで作曲してくれていました。
次から次へとプレゼントをくれて、そのプレゼントも気づかいにあふれるものばかりでした。
そのアパートの前には神田川が流れていましたが、
だいぶ酔いが回った時に、私は一人で外に出て大泣きしましたし、
そうすると、様子を見に来た東大生の友人が一人、抱きしめたり、肩を強く抱いたりしながらその場にずっと一緒にいてくれました。
この夜のことは忘れた日はありませんし、死ぬまで忘れないと思います。
【その時に思ったこと】
こうした素晴らしい日々、こうした素晴らしい友人たちは、
私がエホバの証人組織から奪われていたものを、すべて取り返してくれました。
こうした日々は、あたかも、
完全に乾ききり、砂漠のようになっていた心に潤沢な水と養分を与え続けてくれたように感じましたし、
ボロボロになり、ガタガタになって満身創痍の体に薬を塗り続けてくれたように感じましたし、
巨大な冷たい氷に閉じ込められていた自分に優しい陽の光を当ててゆっくりとかしてくれたように感じました。
そして何よりも私は、
・このような突出して優秀で、他の人への惜しみない無償の気遣いを示してくれて、真剣に真摯に人生を生きようとしている素晴らしい人たちがハルマゲドンで滅ぼされるというのならば、この人たちと一緒にハルマゲドンで死のう、と本気で決意を固めました。
・また、「誠実である」と公言しながら偽善にみち、「他の人を愛している」と公言しながら人を騙し、他の人の人生を奪い、自分の都合の良いように人をコントロールするエホバの証人たち、「利他的で自己犠牲に富む」と自らいいながら実際には利己的な人であふれるエホバの証人の人たちだけが、エホバ神に選ばれて滅びを生き残り、地上の楽園で永遠に生きるというのであれば、私はそのような楽園にはいきたくない、そのような神には従いたくない、そのような人たちしかいない世界で永遠に生きるなんて、むしろそのほうが地獄だと思い、そんな世界で生きるならば、むしろこの人たちと一緒に笑いながら死のう、と本気で決意を固めました。