1.これから私が何回か書く内容は、『良心の危機』を読んだ感想ですので、ほとんどの方にとっては、今まで書いた「べテルの内情」のようなものとは異なり、新しい情報が何もない内容が何回か続くと思います。
ですので、今まで「知らない情報だったので面白い」と感じてくださった方たちがおられたとして、この先数回は、ある意味すでにとっくに知っている内容であって、面白みに欠けるかもしれませんが、お付き合いいただければとても嬉しいです。
なぜ自分がエホバの証人をやめたのかのプロセスを再現することが目的でしたので、そういう意味においては、『良心の危機』をよむことがその最終段階でしたし、そこまで書ききれば、私個人がエホバの証人の嘘を確信したプロセスのご紹介は、ある意味そこで終わりになると思っています。
2.この間に多くの方から、「エホバの証人は信じてはいないとしても、神自体は信じているのか」というご質問をいただいてまいりました。
私は、現在、神の存在自体も信じていないのですが、これにも理由があります。
それは、「聖書そのものを調べなおした」というようなことではなく、ほとんどのエホバの証人関係者、そして一般人であってもほとんどの人が見たことがないような世界、ほとんどの人が受けたことのないような教育を受け、そこで見聞きしたことが、現在の私の結論につながっています。
それで、現時点では、最後にその点については必ず書きたいと思っていますし、
そこまで書ききれば、「どうしても書きたい」と思っていたことは終わりになりますので、その先はブログを続けるのかどうするのか、まだ決めていない状態です。
(※なお、「ほとんどの人が見たことがないような世界」というのは、何か、スピリチュアルな世界を経験したとかそういった類の話では全くなく、正式な教育に基づいた情報の取得と実際の経験でした。そうした何か「霊的な世界」の話とか「陰謀論」みたいなものをするわけではありませんので、そこは先にお伝えしておこうと思います。むしろ、通常の生活をしてればほとんど存在も知らないような世界の話であり、かつ、押しつぶされるような圧倒的な現実感を伴う話になりますし、その経験は私の人生観を大きく変えましたので、それはそれでまた、「新しい話」として興味を持っていただけるのではないかと思っています。)
3.『良心の危機』の感想を書く際には、まだこの本を読んでない方が、少しでもこの本を読んでみようと思えるような仕方でのご紹介ができれば嬉しいとも考えています。できるかどうか自信はないところではありますが。
先回は、かつての統治体についてのイメージを色々書きましたが、こうした内容が面白いのか面白くないのか、自分では区別がつきません。
また、自分では、「個人的なことなのでこれを書いてもつまらないだろう」という内容を書いてみたら、思いがけず強い反響をいただいたこともありました。
それで、書いてる内容で、面白いこと・つまらないこと、「これについて書いてみるのはどうか」というようなご意見を引き続きいただけば、それもまた大変に嬉しいことです。
自分が忘れていることや、書く必要はないと思って切り捨てていることも多々ありますので、いろいろご教示いただければありがたく思います。書ける内容があれば思い出して書いてみますし、書けない内容であれば正直にそのように言います。
宜しくお願いします。