34 「文鳥と死体」ー神などいない⑥ | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

「無数の人の死」に直面することにより再度感じた、「エホバの証人教理への考え」について、最後に「輸血拒否」について感じたことを書きたいと思います。

(※今回の話は、テーマが輸血であるので、話があちこちに飛ぶかもしれませんし、やや本論から外れるかもしれません。)

 

③「輸血拒否」について考えたこと

 

ⅰ.一般にみられる傾向

 

法医学の世界を見ることで、私の世界観というか日常の物事についての考え方は変わりました。

 

当たり前のことかもしれませんが、世の多くの人は「人がいかにあっけなく死ぬか」「実際に人の不慮の死が生じるときに、その現実がどれほど悲惨で、残された人にどれほどの深刻なダメージを与えるか」あまりにも意識していないと思います。

そして、いざそれが生じるとき、その困難に耐えることは非常に難しいものです。

 

交通事故は非常にわかりやすい例です。

多くの人はニュースで「今日、何県何市で事故があり、何々さんが死亡しました」というニュースを見たとしても、本当に単なる一情報として、ほとんど特別な注意を払わないと思います。

しかし、実際の交通事故によるご遺体は、体が完全に切断されてしまったり、挫滅により原型をとどめていなかったり、車内に閉じ込められたまま外に出れずに焼け死んだり、悲劇という言葉では到底表現しきれないような痛ましさの極みというべき状況がそこに発生します。

そうしたいずれの現実ケースも自分は実際に目にしました。

 

自分が修習中に配属された裁判所の裁判長がぽつりと言った「過失は容赦がない」という言葉を忘れたことがありません。

 

人が人を殺意を持って殺害するとき、多くの場合は、攻撃者も所詮は人間であるため、攻撃の程度・方法には一定の歯止めが無意識にかかりますし、殺害手段も所詮は人一人が扱えるもの(刃物・銃器など)になりますので、被害者の人体が著しく損壊されないことが多いです。

しかし、「過失による事故」の場合、多くは自動車や工業用機械などの、非力な人間とは比較にならない圧倒的に強い力により人体が傷つけられ、しかもその際には加害者側は事故を起こしていることに気づかない、事故が起きるとは考えていない場合ばかりですので回避措置がなされず、結果的に被害者にとてつもない力が容赦なく加わって死を引き起こし、想像を絶する凄惨な状態をもたらすことが多いです。

 

そうした事実を何度も見てきたその裁判長は、そのような意味で「過失は容赦がない」という表現を使っていました。

 

私は、本気で、自動車教習所や免許の更新時の講習で交通事故の現場の写真を見せる教育をしたほうが良いのではないかと思います。

普段、何の気もなしに行っている日常の動作が、一歩間違えばどのような結果を引き起こすのかを知り、そしてその結果は決して取り返しがつかないということを知れば、多くの人はきっと自動車の運転や機械の使用、そして歩行時の注意の仕方が格段に変わるのではないかと思います。

 

いずれにせよここで言いたいことは、多くの人は「危険が現実化した時」のことはほとんど考えず、或いは想像すらつかない状態で、日常生活をしているという点です。

 

ⅱ.「輸血拒否」についてのエホバの証人の姿勢

 

転じてエホバの証人について考えるとき、こうした「危険が現実化した時」のことはほとんど考えないという姿勢は、

とりわけ「輸血拒否」に対する彼らの一般的感覚において、

より著しく信じがたいほどにいい加減なレベルで見られるとつくづく痛感するようになりました。

 

■輸血拒否についての一般信者の感覚

 

そもそもにおいてエホバの証人たちは、その教理が「虚偽に立脚している」こと自体知らず、その点を調べることすらしないわけで、まずはそこからしてある意味、途方もなけいい加減なわけではありますが、

その中の「輸血拒否」というこの異常な教理についても、その危険性・それが意味する「現実」を全く意識せずに、あきれ果てるほどに適当に自分と自分の周りの人の命を危険にさらしていると改めて痛感するようになりました。

 

・まずほとんどのエホバの証人は、上に書いた通りそもそも「なぜ輸血を拒否しないといけないのか」その聖書的根拠は特に考えず、ただ単に「組織が言うから」「長年の確立した教理だから」というだけの理由で「輸血は拒否しないといけない」と盲目的に信じ込んでいるのではないでしょか。

 

・そして、これは本当におそろしいことですが、毎年定期的に、集会の時に、組織の指示そして長老や周りの証人の強い勧めのままに「医療に関する継続的委任状」という、ものみの塔協会が勝手に用意した書面にサインするのではないでしょうか。

その中に書かれている内容は理解せずに、特にその重要性や意味を何も考えず「サインしないといけないものだから」というだけの感覚でそこにサインするのではないでしょうか。

 

何が恐ろしいかといえば、その「ものみの当協会が勝手に用意した紙」は、親族でもなければ弁護士でもない、さらにはおそらく代替医療措置について何の理解も最低限の知識もないような人を適当に「代理人」として選び、その代理人が、自分についての医療選択についてすべて決断できる・医療記録もすべて入手できる・法的措置もとれると書かれていることです。

 

これは、一法律実務家の視点から言えば、「考えられないような無茶苦茶な書面」としか言いようがありません。

さらに言えば、そうした状況で、そうした書面に、若い人・エホバの証人になって間もない人・妊婦・持病を持つ人などが「周りからの圧を受けながら、或いは相互監視に近い状態で」皆が皆サインする状況が作り出されていることです。

 

・さらにエホバの証人がメチャクチャで恐ろしいのは、「今は代替治療があるから輸血拒否をしても大丈夫」という漠然とした考えを彼らは持っていないでしょうか。

「アルブミン製剤、グロブリン製剤、血漿増量剤などがあるから」とそれらしいことを組織から教えられ、それらが一体何で、一体どういう効果があるのかも全く理解せずに「こうした代替治療があるので、輸血を拒否するがゆえに死ぬという事態は現在ではほとんど起こりえない」と漠然と信じ込んでいる人も多いのではないでしょうか。

 

・加えて、ほとんどのエホバの証人は「何かあれば医療機関連絡委員会(HLC)の兄弟に任せれば大丈夫。」「HLCが来てくれれば何とかしてくれる」と漠然と信じ込んでいるのではないでしょうか。

 

しかし、これらの感覚は、大間違いとしか言いようがありません。

 

■輸血拒否についての現実

 

・失血死の恐ろしさ

 

大量出血がいかに恐ろしいか、そしていかにして突然起こりうるか、ほとんどのエホバの証人は全く理解していません。

 

・仮に、頸動脈が切断された場合、或いは、頸動脈と椎骨動脈が完全に遮断された場合、つまり「脳への血液供給が完全停止」した場合、人間ははまず5秒程度で完全に意識を失います。そして3分から5分も経過すれば、ほとんどの場合脳死が開始し、それだけで死んでしまいます。

 

・そのようなケースは意図的でない限りはなかなか起こりえず、ほぼ即死と表現してもよい事態ではありますが、それ以外の日常によく起こるタイプの大量出血があった場合、大人であれば1.5から2リットル程度、つまり大きめのペットボトル1本分の出血があれば失血死します。子供であれば1リットルの出血で失血死します。

 

・そして、失血死の恐ろしさは、大量出血はいろんな要因で起こり、かつ、その要因は日常のいたるところに存在するという点です。

交通事故はもちろんのこと、妊産婦の死亡理由の4割程度が出血死というデータもあります(しかも出産時だけでなく、妊娠初期・中期にも大量出血の危険は十分にあります)。十二指腸などの体内の上のほうにある消化器官に潰瘍や傷があり、長時間にわたりゆっくり出血が続いていた場合などは、本人が全く大量出血の自覚がなく「何かフラフラするから」と医者に診てもらったら、あまりの大量出血が進んでおり輸血をしなければ手の施しようがない、ごく短時間のうちに失血死してしまう、というような事態も起こります。

 

 多くのエホバの証人は、現実にそうした事態がいつでも自分や家族に起こり得ることを考えていません。

 

・「代替治療」なるものの意味

 

エホバの証人組織は「輸血にかわる代替治療がある」と殊更に強調し、信者を安心させようとします。

すでに書いたように、彼らは「血漿増量剤、アルブミン、免疫グロブリン」などがあるのでそれを受け入れれば「輸血をしないで済む」かのような印象を作り出します。

 

しかし、上述したような緊急の大量出血の事態が起きたとき、「救命のためには輸血しかなく、そのような代替治療は救命という意味では全く何の意味もない」、つまり「輸血をしなければ死ぬ」という状況はざらです

 

エホバの証人の中で、「代替治療なるもの」が持つ意味を理解している人はどれほどいるのでしょうか。

 

・免疫グロブリンは、免疫疾患や特殊な感染症に対して使われる製剤で、大量出血時の治療とは何の関係もありません。

 

・血漿増量剤やアルブミンは、出血時の血漿量、言うなれば水分部分を補うことが目的です。

確かに大量出血時にはまずは血漿量を確保することが最優先になりますが、それは血漿量を確保した後に「赤血球」が輸血されヘモグロビン値が劇的に回復することを前提にしています。

血液の最大の作用は赤血球が人体の全器官・全細胞に酸素を供給することであり、赤血球の補給がないまま血漿量(水分)だけが維持された場合、酸素供給機能を持たない薄い液体が単に体内を周るだけになり、酸欠により次々と脳機能損傷や多臓器の不全を引き起こしていきます。

また、無駄に血漿量だけが維持された場合、血圧が低下しないため出血量は逆に増え、赤血球がさらに失われていく結果にもつながります。

 

そして、エホバの証人は、その最も肝心な赤血球の輸血は禁止しています。

 

こうして考えると、エホバの証人の個々の信者がいかに無知な状況に置かれているか、恐ろしい状況であるとしか表現のしようがありません。

 

・医療機関連絡委員会の現実

 

緊急の輸血拒否事例が起きた場合、当事者のエホバの証人は真っ先に医療機関連絡委員(HLC)に連絡し、HLCの兄弟たちもすぐに病院に駆けつけるのではないでしょうか。

 

エホバの証人は、HLCに任せれば大丈夫と固く信頼しているでしょうが、実際に彼らに何ができるというのでしょうか。

医療機関連絡委員が病院に来たところで、上述したような「輸血以外に救命手段がない」ケースの場合、彼らに何ができるのでしょうか。

 

個々のエホバの証人は、彼らが何か素晴らしい専門知識に基づいて救命可能な代替治療について医師に説明し、医師がそれを選択することで自分や自分の家族の命が奇跡的に救われるかのようなイメージを抱いてはいないでしょうか。

 

しかしながら、彼らが伝える「選択可能な代替療法」など、すでに述べたとおり、真に輸血が必要とされる緊急の場面では、最終的な救命には何の役にもたたないものばかりです。輸血以外に救命手段がない一刻を争う時に「インターフェロンはOK、透析はOK、免疫グロブリンはOK」というようなことが書かれた紙を彼らから渡されたところで、何の意味があるのでしょうか。

 

結局のところ、彼らが提供する情報は「救命に決定的に必要なものは全てダメ」という結論だけであり、要するに「死んでも輸血はダメ」という結論のダメ押しをしにくるだけではないのでしょうか。

 

唯一彼らが役に立つとすれば、「輸血なしで治療ができる高度な医療機関についての情報を伝えて、転院による救命を可能にすること」があるとは思います。

 

しかし、彼らの現場での実際の体たらくを知っている人がどれだけいるのでしょうか。

 

私は知っています。

 

実際に私が立ち会ったエホバの証人信者の緊急輸血拒否のケースがありました。

これは、私の親しい親族で現役のエホバの証人信者が大量出血し、「輸血して手術しなければ確実に死ぬ」と医師に言われたケースで、別の非信者の親族から電話を受け「IM、お前はエホバの証人にも無輸血治療にも詳しいだろ!?すぐ来てくれ」と言われたケースでした。

 

その現実の事案では、私が病院に行くと、親族より先に医療機関連絡委員の兄弟たちが病院に来ていました。

 

血中ヘモグロビン値が6/㎗まで下がるとそれだけで輸血が必要になりますが、患者はまさにヘモグロビン値6/㎗台で、緊急手術をしないと失血がとまらず死亡するが、輸血なしで手術すれば大量出血してさらに早く死亡するので、その病院では手の施しようがない。高度な無輸血手術ができる医師が見つかれば助かるかもしれないが、見つかっても望みは薄い、という状況でした。

 

私が患者の代理人になったと伝えると、複数の医療機関連絡委員の兄弟たちから、「無輸血手術の受け入れ可能リスト」から10件以上の病院を紹介されました。

 

私は最初本当に驚き、「これで助かるかもしれない。一縷の望みがでた。医療機関連絡委員会も役に立つんだ」と思いました。

ところが、その全て、本当に全ての病院から「輸血拒否ならば受け入れ不可能」という返事がすぐに来て、呆れ果ててものが言えなくなったことがありました。

 

彼らが自慢げに持っているリスト、「これがあるから安心しろ」と言わんばかりに喧伝しているリストは古いリストで、いずれも医師が転勤したとか、病院の倫理委員会が方針を変えたという理由で、リストに記載されていた全て、まさに全ての病院から受け入れ拒否され、その間に救命に必要な限られた時間が無為に失われるという事態が現実に起き、その場に現に私は立ち会っていました。

 

結局、医師と私が無輸血手術可能な病院を探すのに駆けずり回り、医療機関連絡委員会の情報とは関係ないところで医師が見つかり、救急搬送されて患者は助かりましたが、医師からは、もう30 分から1時間病院を見つけるのが遅ければ、確実に死亡していたと言われました。

 

これが私が本当の緊急の輸血拒否現場で見た、医療機関連絡委員会の実態です。

 

他のケースがどうなのかは知りません。

少なくとも、私が現に立ち会ったケースでは、医療機関連絡委員会だけに任せていたら、その患者は死亡していたと思います。

私は、私がいかなかったらその患者は死亡していたと、今でも本気で思っています。

 

ⅲ.まとめ

 

本論から外れることを沢山書きましたが、言いたいことは次のことです。

 

不慮の事故にせよ、病気にせよ、犯罪にせよ、人が命の危険にさらされる事態というのは、突然にやってきますし、誰の身にも降りかかり得るものです。

そして不幸にもそれにより死という結果が生じる場合には大変な悲劇をもたらしますが、だからこそ、すべての医療関係者・社会全体・人類全体は、必死で気高い努力により、そうした事態が生じることを何とか避けようとしてきたし、今もそうしているのではないでしょうか。

 

それに対し、エホバの証人の教理についてはどう考えるべきでしょうか。

・虚偽に立脚した教理により、「復活」や「輸血拒否」を信者に教え込み、

・「医療に関する継続的委任状」などという紙を「組織側」が用意してこれに署名するよう信者に強く勧め、

・「輸血代替治療」についての極めて表面的かつコントロールされた偏ったイメージを植え付ける情報を喧伝し、

・「医療機関連絡委員会」なるものを作り、それに対する過剰かつ偏った強い信頼を抱かせるように信者を導き、

 

そして、悲劇的な人の死を生み出してきているのではないでしょうか。

 

朝、笑顔で家を出て行った若者が事故に遭い、

希望に満ちて病院に入っていった妊婦が大量出血し、

普段通り元気に一緒に食事していた人が、本人の気づかない内臓疾患による蓄積した大量出血で突然倒れ、

そうした人たちが、輸血さえすればすぐに助かるのにみすみす死んでゆくという事態を引き起こしているのではないでしょうか。

 

個人的には、「医療機関連絡委員会」の実態についても強く指摘したいです。

ケースによっては、「無輸血手術をするための医療機関連携」さえうまくいけば、輸血を拒否する人でも命を救える場合があります。

私は個人的な経験から、この事実に強い衝撃を受けました。

ところが、その「医療連携を専門的な使命として行っている」と誇らしげに喧伝するエホバの証人の医療機関連絡委員会の実態は、少なくとも私が現実に見たケースでは、上述したような状況でした。

 

いったいこれまで何人のエホバの証人信者が、「医療連携の専門家」と自ら名乗る「医療機関連絡委員会」の不適切な対応により、救われるかもしれなかった命を失ってきているのでしょうか。

いったい何人のエホバの証人が、これから先、将来も、自分たちがよくわからない状況で過度の信頼を寄せる「医療機関連絡委員会」の不適切な対応により、救われるかもしれない命を失ってゆくのでしょうか。

 

とにかく、エホバの証人及びこの団体に関わる全ての人は、

人の命の意味、そして、エホバの証人教理が人の命そのものに与える影響につき、その現実を見据えるべきであると思います。