34 「文鳥と死体」ー神などいない⑧ | エホバの証人(JW)について考えるブログ

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弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

私が「ご遺体」の研究というものにのめりこみ始めたころ、周囲の人間にはかなり心配されたりしていましたが、ちょうどその頃にほかの人の勧めがあって、私は「文鳥」を飼い始めました。

 

私は文鳥になど全く興味がありませんでしたし、当初は、あんなに小さなトリで、犬と違ってお座りやお手もできるわけでもないだろうし、「動物」を飼うというよりも、小さな安いミニカーを1台買うくらいの感覚でいたというのが正直なところでした。

 

【文鳥を飼う】

 

ところが、文鳥を飼い始めてみて、文鳥に対する感覚はすぐに一変しました。

こんなに小さく、こんなに軽い生き物なのに、「なんと可愛く、そしてなんて賢い存在なのだろう」とすぐに感じるようになりました。

 

・とにかく可愛い

 

この文鳥は私に非常に懐きました。

懐くというか、私のことが大好きで大好きで仕方ない感じでした。

 

私が手のひらを小さく丸めると、すぐにそこに飛んできて手の中で丸くなり、しばらくするとその手の中で一生懸命「巣作り」をしたりしていました。また、私の掌の上で丸くなって寝てしまったり、文鳥を飼ったことがある方であればすぐわかると思いますが、「くちばしを自分の羽の中にしまった姿で寝る」、つまり「文鳥にとってのガン寝」をすることすらもありましたし、完全にひっくり返っておなかを出して寝ていることもあり、そうした姿は本当に可愛いものでした。

 

「文鳥の水浴び」を見たことがない人が初めて見るとびっくりすると思いますが、私もこの文鳥の水浴びを初めて見たときには、あまりの可愛さにびっくりしました。

 

・とにかく賢い

 

また、文鳥の賢さにもびっくりしました。

 

私の掌の中で丸くなってグーグー寝ていたのに、玄関のインターホンが鳴ると、すぐにパッと起きて頭を上げて右左を見てきょろきょろし、私の顔を見てちゅんちゅん言って「あれ?誰か来たよ」と言わんばかりでした。

さらに驚いたのは、そのままパタパタと玄関に飛んで行き、それが良く知っている人であればちゅんちゅん言って肩に乗り、それが宅配便や郵便屋さんなど知らない人であれば、床でジーと姿を見つめた後に首を何回かかしげて、そのまま私のほうに戻ってくる、つまり、人の区別がちゃんとついていることでした。

 

水浴びするときも、本人的には何かこだわりがあるようで、「台所は嫌」・「洗面所でないとダメ」、「水に入るときは必ず私の右腕から降りてゆき、左からは絶対に下りない」「水浴びを始める直前はかならず水を2回ちょっと飲んでから始める」というようなマイルールがありました。そのようなこだわりは良い意味で本当に「めんどくさく」、本当に可愛いものでした。

水浴びしたいときは、明確に私に対し「水浴びさせろー水浴びさせろー」とアピールして、なんとも可愛い「圧」をかけてきました。急に体を膨らませて、何度も羽ばたきを繰り返して、ちゅんちゅん言って催促していました。

 

私は、当初は、文鳥なんて金属でできたミニカーくらいに思っていたわけですが、

わずか20グラムしかないこの生き物が、一生懸命に私に話しかけ、私に向かって歌を歌い、求愛のダンスをし、こちらも指で一緒にダンスをしてあげるとさらに興奮してダンスをする姿を見て、本当に文鳥への考え方が変わりました。

 

暇さえあれば一生懸命に自分をキレイにしようと羽繕いをし、時節が変われば羽が変わりその見た目も大きく変わり、求愛の時期には自分を一生懸命に素敵に見せようともしていました。文鳥なんて、黒と白とグレーの三色だけの「変なデザインのトリ」、と思っていましたが、時節や感情により、その姿が変わるのを感じてつくづく感動したりもしました。

 

この子にはしっかりした自我があり、周りを愛し、自分も幸せでいようとしていましたし、実際に幸せいっぱいだったと思います。

 

【文鳥と死体】

 

ちょうど人の死について深く考えていたこの時期の私は、最初はただこの子に癒されていましたが、やがてこの文鳥と一緒にいる小さな小さな、しかし穏やかで幸福な経験からいろんなことを考えるようになりました。

 

私はエホバの証人組織から、「人間だけが地上の唯一の理知ある被造物であり、その他の動物とは全く違う」という教えを教え込まれてきました。その教え自体に間違いはないと思います。

 

しかし、その組織からは、さらにその考えを逆の方向に利用され、「だから人間は神への崇拝に自分をささげないといけない」「だから地上の神の組織に自分をささげないといけない」という教えも埋め込まれていました。

「人間は特別」という事実から本来導き出されるはずの結論とは真逆の方向にコントロールされ、自分の人生を大切にする、そして同じように周りの人の人生も大切にするという発想とは全く別の観念を植え込まれていました。

また、「復活」の概念も教え込まれたため、人がどう生きるべきかについての考えも歪んでいましたし、マヒしていました。

 

そのように「人間は特別な生き物」という考えを持ち、それがどこか歪んだ形の発想を引きずらせていましたが、

法医学を通じて人の死の現実に接するようになり、亡くなって冷たくなり物も言わず動きもせず腐敗が進行し始めているご遺体、原形をとどめないご遺体、解剖されてみるみる形が変わってゆくご遺体の姿、そしてその現場に立ち込める死臭などを経験し、「まさに人が人でなくなってゆく過程」に直面することで、「人は本当に死んだらすべてが終わりなのだ」と、強く確信するようになっていました。

 

そしてその一方で、家に戻って文鳥に接してその姿を眺めているときに、別の思いも浮かんできました。

 

こんなに小さく、こんなに軽く、今までの自分が「全くとるに足りない存在」と思っていた文鳥も、しっかりと自我を持ち、自分の幸せを持ち、周りを幸せにする姿を見て、「とるに足りないと思っていたこの小さな生き物も、自分の人生を一生懸命生き、自分が幸せであろうと一生懸命なんだな」とつくづく感じました。

 

そして、

「ただひたすら愛されるだけのために生まれてきて、本当に飼い主に愛され大事にされ、幸せいっぱいで、そして飼い主のことも大好きなその文鳥」の生き方、

短い命かもしれないけれども一生懸命に幸せに生き抜く姿をみてある意味うらやましく思い、

 

「すべての生き物は、本来、こうやって生きるべきではないか」

「ましてや人間であれば、なおさらのことではないか」

「今ある命を大事にして、幸せになれるように生き抜くことはなんと大事なことなのだろう」

と、時間をかけてゆっくりと、しかし、深く感じるようになっていきました。

 

そしてこの文鳥は、私よりも早くこの世を去ることは明らかでしたが、その間に最大限愛情を注ぎ、

やがてこの世を去るときにひどく悲しむことになろうとも、「その悲しみが、それだけこの子を愛した証になるんだ。その悲しみが、この子が生き抜いた証になるんだ」と考えるようになりました。

 

私は、その文鳥に「IM」という名前をつけていました。

飼い始めた当初は文鳥の名前などどうでもいいと思い、アルファベットを並べて適当に2文字を選んで付けたので、意味や由来は全くありませんでした。

 

その後、IMの存在はとても大事なものとなり、

「ただ愛されるだけのために生まれてきて、実際に愛され大事にされ、幸せいっぱいになれるよう小さな存在ながら毎日頑張って生きる」IMのようになりたいと思い、ブログを始めるときにその名前を拝借しました。

 

実際今も、人は本来であればそのように生きるべき、そのように生きられるべきではないかと思いますし、

少しでもそうした姿に近づきたいと思って毎日を過ごしています。