上記ブログの続きになります。

金魚にとっての適正温度帯が何℃であるのかは、飼育者様各々の目的によってとんでもなく変わるので、これ!と断ずるのは難しいものです。

・溶存酸素大事なら可能な限り低く抑えて。
・表皮粘膜保護なら一日の振れ幅を極小に。
・繁殖ホルモンを活性化させたければ、酸素も粘膜も無視して春夏秋冬朝昼晩、ハードモードで。

工藤ともこの問題はよく話題になり、ああでもないこうでもないとこねくり回した挙げ句、
「「結局各々、好きにすればいいよねにっこりにっこり」」
「「但し、16℃以外で凝視凝視」」
大体こういう結論に着地していました。

以前ブログにちらっと書いたような記憶があるのですが、16℃という水温は魔境です。
直接金魚に害をなす温度帯ではありませんが、濾過バクテリアがポンコツになり、場合によれば水槽丸ごと全死滅しかねないものであります。

濾過バクテリアには膨大な種類があり、それぞれが異なる動作最適水温帯を持っています。いわゆる「出来た」水槽であれば、水温が多少変動しても、彼らはうまくやりくりをして濾過を続けてくれます。
が、16℃が大丈夫な濾過バクテリアは、ほぼ居ません。
※活火山帯のどまんなかや高高度地域だと少し事情が変わります。人口の密集している中〜低高度地域・活火山帯の遠地であることが前提条件です。

地下水が湧いて地表水になる瞬間の水温がざっくり16℃。
水が地上に生まれ出た水温が16℃であるならば?
気温というものがあり、昼と夜があり、季節のあるこの国の地表水の温度が長時間16℃であり続けることはまずあり得なく、大抵それより低くなるか(冷める)高くなるか(熱される)のどちらかに偏ります。
最も重要なこととして、大抵の湧水には生物排泄物由来のアンモニアは入っていないので、餌が無いということ。つまり、濾過バクテリアは餓死しないように生存戦略として16℃を忌避し、それより低いゾーンか、高いゾーンに各種各々守備範囲を定めていると考えられております。
※汚染された湧水も少なからずあります。特に工業排水の漏水や、斃死動物埋却地(殺処分等)で顕著にアンモニア等が出てしまったケースがあります。

現実問題として水温が16℃になると、どんなにしっかり動いていた濾過バクテリアも、いきなりフリーズしてしまいます。どれだけアンモニアが湧いてきても、シラ〜っと動作せず動きません。
フリーズ時間が数時間程度ならいいのですが、数日続くと間違いなく餓死が起こります。そうなると水温がどうなっても排泄物処理が出来ず、水槽崩壊に至ります。

中〜低高度地帯かつ活火山帯遠地の地表水が長時間16℃であり続けることはレアケースですが、特に春は水槽にこの現象が起こりがちです。
地表水は膨大な水量による保温・緩衝効果と地熱・太陽光・気温の絶妙な作用で水温が決まりますが、水槽の水温を支配するのは気(室)温一点のみと言っても過言ではありません。
保温・緩衝効果を期待できないほど小水量で、四方を熱伝導の高いガラスで囲われ、非接地かつ中空固定のラック上に配置されているのですから、水温はダイレクトに気(室)温に比例します。
河川湖沼水と水槽の水の決定的な違いはこの点にあります。
冬が終わって「今日は過ごしやすい」と思う日が数日続いたあたりが最も危険、とご記憶下さい。
人間に快適な気温が始まる頃、水槽水はナチュラルに16℃固定になりがちだったりします。
凍える冬が終わり、過ごしやすい気温に飼育者様の緊張がほぐれ、肩の力が抜けるような日に静かに始まることが多いので「魔境」と私どもは申し上げております。

春ほど水温に飼育者が振り回される季節は無いと、毎年痛感させられます。
ただでさえ酸欠は魚の古傷をこじ開けるストレスになる上に、丹精込めて活着させた濾過バクテリアを腐らせかねません。そして、自然界では滅多にない16℃の魔境も普通に起こります。

工藤との議論で「それは如何なものか?」と全面的な合意に至らなかったものですが、私は水温が15℃になったらヒーターを使って17-18℃まで上げてしまう派でした(勿論上げる過程で水位は下げます)。16℃でトラウマになるような思いを何度もしたので、濾過バクテリアだけは死守したい!!!!!その一点だけが突出したようです。
と言いつつも、これは飼育水操作をする人間の性格や生活サイクルに依存する部分が余りに多い問題だと。私自身「決定的な解決策とは言い難い」と感じております。
16℃回避に挑む飼育者の数だけ正解があるが故に「「結局各々、好きにすればいいよねにっこりにっこり」」となってしまっておりました。

とどのつまり、コケを拭ってちゃんと目視できる水温計を設置して、春〜初夏にかけて日々監視すること。
16℃が危険水温と理解していること。
これ以上に普遍的なやり方はないのではないかな?と、考えます。

今まで水槽管理がうまくいっていたならば、やり方を変える必要はありませんが、春に少しでも理解しがたいトラブルを感じたならば、参考にしてみるのも良いかもしれません。

工藤が生きてたら余計なことは書かんでいいし、もっと普遍的に役立つことを!と言われたかもな?と。微妙な不安を感じつつ筆を置きます。