今さら映画『カイジ ファイナルゲーム』 感想と考察 | ツェーイーメン ~福本漫画感想日記~

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この更新も、新たな話題ではありません。

1年前に下書き保存したまま、投稿を見送っていた映画 カイジ ファイナルゲームの感想です。


公開当日に書きかけのまま1年放置。

今となっては記憶も曖昧ですが、簡素ながら部分的に補完しました。記憶に残ったシーンのみを書き起こしていたので、作品全体については記していません。

相当歯抜けの文章ですが、このまま消去するのは勿体ないので投稿します。


初見時の言葉として残したいので、今夜金曜ロードショーで放送される前に公開。


前半は評価すべき点、後半は不満点となっています。



※大いにネタバレを含みます。

 
 
公開初日の朝イチ回で鑑賞して参りました(・∀・)
私もいずれ来る…かもしれない預金封鎖に備えて現金をゴールド化。
新しいキーホルダーとして実用します。
 
 
まず結論から申し上げますと、128分間退屈すること無くスクリーンに釘付け。
存分に実写カイジの世界へ没入出来ました。
 
好きか、普通か、嫌いか、三択であれば迷わず好きです。
エキストラの参加など、私的な感情を除いても作品として好き。
 
 
まず、パンフで福本先生が仰られています通り、カイジはコンクールで賞を取るような映画ではなく、徹底したエンタメ作として仕上げられています。
 
今回は日本国の再生という巨大なテーマではありますし、後述するように現実世界を想起させる描写も強烈ですが、勿論プロパガンダの意図はありません。
原作漫画も、世知辛い現実の風刺であったり、人生の縮図としての見方で楽しむこともできますが、カイジの魅力は何よりもまず直感的に面白い。
interestingであり、時にfunnyでもある。両面の面白さ、それに尽きます。
あらゆるエンタメは如何に興味の持続をもたらすかに掛かりますから、一歩引いた目線で見ても、今回の作品は娯楽映画として余裕の合格でしょう。
 
カイジファン心理としても、今作が最も観易かったです。
最たる要因は、今回が全編に渡ってオリジナルエピソードであったこと。
否が応にも原作と比較してしまった過去作とは異なり、このシナリオは今見ている映画こそが正解であり、語られるべき展開なのだという説得力が前提にあったことが大きいです。
 
そして、そもそも映画版カイジが原作のトレースではない事は過去作からも明らかですから、全編オリジナルである事への違和感もなく、映画ならではの諸々の都合も受け入れやすかった。
 
また、この9年でカイジの知名度は飛躍的に上昇しました。
間違いなく、藤原さんの代表作の一つとなっていますし、その演技をネタとしてモノマネされる事もある。それは、明らかに映画を差している。
あるいはTVの演出で「ざわ・・・ ざわ・・・」と画面に出たり、「カイジに出てきそうな人」(=覇気の無い印象)という例えもよく耳にしますが、これは原作から来ている。
映画ネタと原作ネタ。この二つの違いは、誰が説明せずとも無意識的に分類できている。
それほどに両者がそれぞれで評価され、その評価されている事実も一般化されているという事。
 
つまり世間の風潮としても、映画カイジは原作カイジとは異なるコンテンツであり、自然と切り離して評価することが当たり前となっているように思います。
 
映画をカイジとして楽しみつつ、また意識の一方ではカイジと切り離して楽しむ。
割り切れる環境が整っていた中での全編オリジナルですから、世間的なニーズとも合致していたように思います。
長年に及ぶシリーズ化の功績ですね。
 
 
勿論、今回も私の身に刺さるようなキツい箴言が多数投げ掛けられましたし、舞台は東京五輪を機に景気が失速した日本。
(パンフにも載ってはいませんが、エキストラの際に2026年の設定と説明を受けました。)
 
物価のインフレはビール1本1000円と荒唐無稽なレベルではありますが、アジア企業に侵食され、ハングルや簡体字で埋め尽くされたビル街が建ち並ぶ光景は非常に印象的。
万が一の未来として有り得ないとも言い切れない実状と相まって、絶妙のリアリティラインを保った薄気味悪さがありました。
 
 
予告段階でやや危惧していたのは、カイジという記号的な要素を散りばめる事に偏り、本質であるシナリオが形骸化していないだろうかという点でした。
結果的にそれは杞憂でしたね。
バベルの塔の鉄骨渡りとラストのビールシーンについては露骨に狙った演出ですが、ある程度のファンサービスと割り切れる範囲でした。

 
非常に印象的だったのが、ドリームジャンプを取り仕切る従業員。
個人的に悪人として魅力があるのは、単なる大物や極悪非道でなく、能ある鷹は爪を隠すタイプの食えない切れ者。
最たる例は大槻ですが、この係員は良かったな。
 
廣瀬の働きによる通電不良で、当たり番号を変更できず、カイジを必殺するプランは崩れました。
ノベライズ版ではあの荻野圭一とされている部下から、中止も進言されましたが、ドリームジャンプの成否が人間秤を決するとの報告を受け、彼は勝負を強行。
 
何故ならカイジが失敗すれば上司である黒崎に気に入られる。カイジが成功すれば、黒崎は失脚する。
前者は勿論、後者もプラスに捉えている事から、黒崎は帝愛内で疎まれている…また、最高幹部として相応しくないと認知されていることが察せられます。
 
モブに近い脇役でも、強かに動いている…帝愛の底知れない悪魔性。
そして暗に浮かび上がる黒崎の人間的浅さ。
人間秤はその人間の価値を量る勝負ですから、黒崎の破滅を匂わせるさりげなくも鮮やかな演出だと思いました。
 

ここからは、やや不満ではありませんが気になった点。
ノベライズ版との比較も含まれますが、媒体間での置き換えは必要不可欠ですから、相違がある事自体は仕方無い。
ただ、私が先にノベライズ版を読んで評価していたポイントの一部について、映画では脚本、演出面で改変、改悪されていたのが気になります。
 
その中心は高倉。
今回の映画におけるもう一人の主人公と言って差し支えないでしょう。
消費税30%への引き上げ、生活保護廃止、預金封鎖、新通貨切替、狂気的とも思える政策を掲げますが、それらは全て彼なりに本気で日本を立て直そうとする決意に満ち満ちたもの。

ノベライズではそのスタンスへと至った大学時代の教授との会話シーンが回想されますが、映画では描かれませんでしたね。
高倉のキャラクター描写に深みを持たせる重要なファクターだと思っていましたので、ノベライズ版での良改変と言えます。
 
 
映画版でただ一つ、その高倉の信念に反した描写と感じたのが、スマホでドリームジャンプを観戦していた際の反応。
 
ノベライズ版では「実に低レベルなゲームだ」と一蹴しており、喜ぶ者の気が知れないとまで斬り捨てています。
そこで直後にやってきた黒崎が嬉々として発案者と明かした事で、二人の人間としての格の違い
、真に手強いのは裏で手ぐすねを引く高倉であることを決定付けるシーンとなるわけです。
 
しかし、映画では嘲笑しています。単に弱者が散って逝く様を侮蔑しているようにも見えました。
 
確かに高倉は日本の濃度を上げるために、足を引っ張る社会的弱者は死んでも構わないと公言しています。
しかし、彼ほどのエリートがその極端な結論に至るまでには試行錯誤も葛藤もあったはず。
彼とて一人の人間として立ち返ったなら、人を死に追いやる選択肢は選ばないでしょう。
ですが高倉は日本を預かった地位と信じています。それをカイジは傲慢としましたが、事実でもある。
 
恐らくあらゆる可能性を模索したはずですが、いずれの方策も通用しないと分かった時、待ち受けるのは大いなる絶望。
 
 
自分が日本を再生へ導こうという最中、自死をもって金に躍起になる人間たち。
愚かさにはもはや辟易としているはず。
鉄骨渡りでのセーフティという名の愉悦を感じているような…あの表情は違うのではないか。
 
例えば、アカギにおいて鷲巣は赤木しげるを麻雀によって殺そうとしましたが、欲しかったのは赤木の死そのものではありません。
社会的には凋落した鷲巣ですが、自らの人生における到達点がまだ先であると信じている。赤木という人生最大の強敵を目の当たりにし、それを倒す事こそ到達点。
希望の対象が定まったわけです。
殺意はその手段に過ぎない。
 
だからこそ、後に鷲巣は赤木との再会に執着し、赤木がヤクザに狙われたことを知ると激怒した訳です。殺す権利があるのはわしだけだ…と。
 
高倉も、社会的弱者を殺せる立場にいるからこそ、無為に眼前で殺されるのを喜ばしく思う訳がないはずです。それも、運否天賦に左右されるだけのゲームによって…。
冷淡にあしらう、あるいは怒りを露にする対応が相応しいのではないかと私は思いました。
この一点については、高倉がやや記号的なだけの悪役に映ってしまった印象です。
黒崎が徹底したステレオ的な悪役である分、高倉との差を演出してほしかった。
 
勿論、受け取り方はそれぞれ。それぞれの感じ取った解釈が正解だと思います。
高倉というキャラクターが生きればこの作品も生きる、そう言っても過言ではない重大なポジションだっただけに、個人的には大きく引っ掛かるポイントでした。

他に各ギャンブルが浅すぎる、特にドリームジャンプにおいて
取って付けたようなキューの伏線…と呼べるのかも怪しい切り抜け方、
そしてゴムではないロープのまま落下しては、セーフの番号でも内臓破裂で死ぬだろ、というツッコミ等
細かくは多くありますが、ディテールの甘さを嫌でも覚えてしまう箇所が多かったです。

また、これは二作目での石田関連から感じていましたが、家族愛という良き事風のまとめ方で着地させるのは目新しさに欠け、安易でしょう。今回のカイジが主役でありながら話の中心から蔑ろにされている感が強いのもその為かと思います。
 
そしてオチ、ラストがあまりに救いの無い話ということ。
過去二作も、確かに取り分を騙し取られる最後でしたが、借金完済による地下生活からの脱出という最低目標は果たしていました。
ですから、バッドエンドでもありハッピーエンドでもある。

しかし、今回のカイジは当初の搾取されるバイト生活から、結果的には何も変わらないどころか黒崎が破産したのでバイト先を失い、しかも飲食店の支払いが出来ずに無銭飲食で逮捕されるところまで確定しています。

高倉の思惑が実らず、景気は回復の目通しが立たないままに終わったことが、イコールカイジにとっても不幸という形となってはカタルシスが薄いわけです。

ちなみにこちらもノベライズでは、銀と金のトランク選択をオマージュしつつ多少希望を持ったラストとなっています。
ただトランクの中身を確認せずに騙されるよりは間違いなく優れていました。


ファイナルと銘打っている訳ですから、帝愛との因縁と、カイジの人生の好転という2つには決着を付けて終わらせるべき。

僭越ながら、一つのパターンを想像してみました。

幹部の黒崎が政府と裏金で繋がっていた事実が露見、
帝愛の信用は地に堕ちて倒産、カイジはそのニュースを目にして石田や佐原に「仇を取った」と呟く
カメラが引くとカイジはリクルートスーツを着ており、クズの人生から一歩抜け出そうとしているのだった

そして、今回ばかりは町行く人並みに逆らわず、前を見据えて歩き出す(1作目ラストとの対比)

手法は様々あるでしょうが、とにかく作品の集大成であり総括であるという演出が欲しかったです。

ただ、これには一つ擁護できる裏話があります。
私がエキストラ参加中に目撃した台本のタイトルはすべて「カイジ3」、つまり今回の作品は元々カイジ3として制作されていたのです。
それが撮影後、公開前の段階でファイナルと変わったので、作品全体の総括となる展開ではないのは当然なのかもしれません。
つまり、個人的にはタイトルに「新」や「リボーン」など付けてぜひ続編を作っていただきたいです。
事実、藤原竜也さんは続編があれば演じたいとの意気込みを語っていますし、当初は3としていた事から製作陣の方々も燃え尽きていない証拠ですからね。

 
最後に、私は最後の審判におけるfriendターンからfamilyターン、具体的には廣瀬の寝返り後、隠し球だった絵画が無価値であると判明したシーンまで観客としてエキストラで参加しましたが、スクリーン上に姿は発見できませんでした。
ちょうど観客が肝となるfanターンの直前まででしたから惜しかったな。金貨を投げてみたかったです。