नमस्कारः 導明です。

体調を崩したかな?と思ったのが3月18日の未明のこと。

明けて3月19日の透析で簡易検査でコロナと判明。

それから20日〜21日は、無症状で簡易隔離され透析だけ受ける。

翌日の22日から発熱が始まるも解熱のカロナールと葛根湯のみ処方され週末から25日の月曜日まで発熱を繰り返す。

26日になって、やっと透析クリニックでレントゲンを撮り肺炎が悪化しているから、すぐに私が日頃お世話になっている東京女子医大の救急に行きなさいと紹介状を持たされタクシーで向かうことになりました。

救急に着いてからは、あまり記憶も定かではなく。

気が付くと個室に隔離され、酸素マスクを装着され寝ていました。

点滴で解熱と咳を止めながら肺炎の治療を進めているのかな?
ボンヤリした頭で、そんなことを考えていました。

事態が急変したのは、28日未明らしいです。

前日の段階で妹に連絡が入っており、最悪ICUで救命措置が必要になることを伝えられたそうです。

28日未明、完全に顔を覆う酸素マスクに付け替えられ時間15リットルの酸素を投与するも、全く足りずICUでの救命措置になったそうです。

酸欠で朦朧とする中、何やら説明を受けた記憶はあるものの、よく覚えていません。

次に気が付くと首からカテーテルが入り、口から気道確保の挿管がされ

おむつを充てられ、宛らジャイアント•ベビーが横たわっていました。

挿管されているから、勿論喋れません。
鼻からは、栄養を流す管が入っていて口からは気道確保の管。

目を閉じると、幾何学模様の広がる空間の中で壁に書き込まれたメッセージを読んでいました。

その壁には、悲喜交々の言葉たちが書き込まれていて、考えたのはこのICUで救われた人の想い、救われなかった人たちの嘆きと後悔が綴られているようでした。
 
都合5日間、28日から4月1日までICUでの治療を受け抜管し、一般病棟内の隔離病室に移されました。

今回の入院は、本当に広い女子医大病院の中を行ったり来たりした忙しない入院でした。

結果、4月5日にコロナ陰性が判明しバタバタと一度は退院が決まったものの、抜管後からの喉の痛みと発熱が続いていたので耳鼻科で診察してもらうと。

耳鼻科医の先生、開口一番本当にこれで退院させるの?と怪訝な顔に。

近くにいた、他の耳鼻科医まで診に来て私の前であーだの、こーだのと論議が始まり、退院延期が即決されました。

普通に抜管しただけなら、こうはならないと。
検査して、とりあえずステロイドと抗生物質で週明けまで様子を見ることになりました。

耳鼻科診察初日、声出ない。
発熱解熱を繰り返す

翌日日曜日、前日より少し良くなるも、まだ声にならない声しか出ない。

月曜日、臨時に喉の浮腫の原因かもと水分のみを除去する透析を受け、更にステロイドと抗生物質の点滴。

火曜日、通常の透析で2日で都合6kg以上の除水を行って、シワガレのガラガラ声が少し出るようになりました。

結果、火曜日でステロイドと抗生物質の点滴治療が終わり水曜日1日様子を見ることに。

そして、木曜日(本日4月11日)更に4kgの水分を除水して、入院前85.2kgあった体重は、今日の透析終わりの段階で79.7kgに。

明日、退院して日頃の維持透析施設に戻ります。

そして、更に体重を絞ることになりまそうです。

あと、今回の入院で学んだ食事メニューをレシピ集にまとめて、健康的な食生活を心がけて行こうと思っています。

多くの人たちの尽力で生かされた生命を大切に、別の形で感謝をお返ししていこうと思っています。