こんばんは🌛

フェルマータです。


GWも終わり楽しい思い出が

読者のあなたにもあったなら

嬉しいです。


わたしは講座をしながら

主催者さんと新しい企画が

1日早く終わり「日常の自然」

と言うテーマでご一緒させて

頂いた方々と

身近な自然を楽しむ事が

できました。


夜の瞑想会では、引き続き

自然について瞑想していました。


以前から迷った時は自然、地球を見る。

と言う提案をしていましたが

迷いのない中での

自然、地球から得ることができる

智慧について瞑想をしました。


わたしの瞑想は、2パターンあり

1つは全く何もテーマを持たない瞑想

2つはテーマを持ち思考が智慧に変わるのを

助ける瞑想です。


今回は2つ目にあげた

テーマを持ち思考が智慧に変わるのを助ける

瞑想をしながら

学習出来た内容を数回に分けて

自己確認もしながらですが

書いてみたいと思います。


ヒンズー教や仏教が発祥とされる

瞑想と言う文化と呼んでも良いような

起きているのに静止するような

また、逆に寝ているようで起きているこの行動は「変性意識」をもたらし、リラクゼーションの他

宇宙との一体感、自己の究極の叡智を得ると

言われています。


自然といえば、山や海などを

連想する方が多いと思います。


山に木ががあり他にも様々な命が

あります。

海には水がありその中には無数の命があります。


山や海は自力で動くという

動作はしませんが

その中には自力で動く

命があります。


山には、うざき、タヌキ、、など。

海には、魚、など。


ですが、山や海などの自然を地球という

更に大きなエリアで見てみると

山は山であり

海は海とザックリと分けることができます。

さてザックリ分けた

この、山や海は地球で命としてどの様に

存在しているのでしょうか。

瞑想中に出た智慧は

ただ受け入れている。という

事でした。


この「ただ受け入れる」を

地球を手本とした時と瞑想して

得たわたしなりの叡智の続きを

次回は書いて見たいと

思います。


出来るだけ近日に(~_~;)