たまに、スピリチュアルって、語れば語るほど怪しくなるって言われます笑

 

僕もそう思います。

 

 

なんか分けわかんないこと言ったりとか、
それって なんかの宗教?とか、

 

とにかくスピなんて語んないほうがいいものなのかもしれない^^;

 

 

でもそれって、きっと自分が体験したことのないことを語るから、
中身のなくって訳の分かんないことだって、他人には聞こえるんじゃないかな。

 

 

だから、僕も自分が体験したことだけを語ろう(書こう)と思う。

 

 

 

あ、そして最初に言っておきたいのは、スピなこと語ってるからって、

全然自分は世間で言う真面目でも崇高でもない。

 

逆に、俗っぽい人間です。

女性好きだし、お金も好き〜

基本ふざけるのも好き〜 あはは〜 

(ここらへんしっかり言っとこう)

 

 

 

 

よし。笑

 

 

 

 

さて、そんなんですが、
世に言うスピリチュアル系の人や本を読んで、僕の内面は全く以て変わっていきました。

 

 

何が変わったかっていうと、「信じている」ことが変わりました。

 

 

そして、その信じていることの内容は、世間ではかなりマイノリティーなのは間違いない。

 

 

声を大にして言ったら、狂っているの?って思われても可笑しくない笑

 

 

しかも、〇〇教みたいに、
そこの宗派の教会や組織に行けば、そこではその信念が皆おなじで、
そこに行って言ってれば、みんな賛成してくれて安全って訳でもない。

 

 

自分だけのアイデアで、
他の人たちが違っていても全く大丈夫。

 

でも、自分の信念も伝えたい。

なぜなら、自分はそれによって格段に生きやすくなったから。

 

 

他のスピの人や、宗教の人たちと全く同じにはなる訳がないんだけど、
根本的なものはシェアできる。

 

違うんだけど、根本が同じ。

 

 

愛とかなんやらとか、
まだ自分で言うのも憚れる。

 

 

でも、根本で同じものに触れてる。

 

 

 

 

 

自分だけの体験っていうところに戻って、何が変わったかっていうと。

 

まず、
他人を攻撃することを、完全にしないという、

以前の自分とは180度、違う信念をもちました。

 

それも、がんばって攻撃しないんじゃなくて、

攻撃したくないからしない。

 

 

攻撃ってなんだっていうことですけど、

暴力はもちろん(これは当たり前だよね)、

悪口や蔑みや陰口や嫌みや足を引っ張ったりとか告げ口とか、そんなのもひっくるめて丸っきり他人を攻撃したくなくなってしまいました。

 

 

さらに、自分を守るために防衛する姿勢さえも、やめてしまうという、

無防備な人間になりたいんです。

 

 

何があってもとにかく、他人を傷つけたくない。

 

 

前は、そんなことしたら、自分の身が危ないよっていう信念がいっぱいでした。

(あ、今もたまにそういう思いは出てきます。)

 

 

でも大概は、その方(攻撃と防衛をしない)が安全だと、思ちゃうからしたくないんです。

 

 

 

そんなこと思ってるんで、時々ふと周りを見渡すと攻撃してたりされてたりすることが、目に入ってきて、うわーやだなーって思うことがあって、

 

さらに自分が攻撃や防衛にちょっと引っ張られそうになったときが一番嫌。

 

 

そして、いやなんだけど逆にすごいチャンスでもあって、
そんなときに一番自分が試されていて、奇跡を味わえるって思う。

 

 

人になにか嫌なことをされたとき、やり返さずに防衛せずに、

まったくもって許すという対応をしたい。

 

 

そしたら、やられたことが全く自分にとってダメージがなくて、

その相手もまったく傷つくことがなくて、

 

嫌なことが、解決するんじゃなくて、

そんなことが存在しなかったように、世界が変わってしまう、

ということを体験して、

 

あれれって思ううちに、そんな体験がどんどん増えていって、

自分の中で、もはやこれは事実こうなってるんだな、世の摂理というやつなんだなってなって、

 

 

自分で思ってやってみて、体感して、またやってみて体感して、

信念が強くなっていくっていう過程だから、内面で起きてることだし、証明とかもできない。

 

 

でも、自分の内面の意識が、外の世界を変えたんだっていう信念が、

日に日にでかくなっていく。

 

 

だから、こんなことあったんだよーって伝えたいんだけど、

あなたもこっちにきたほうがいいよーとは、言いたくない。

 

だって、その人が同じ体験をした訳じゃないし、

それでその人にそうしろっていうのは傲慢だし。

 

 

気持ちを伝えることが喜びだからただやるだけ。