氣だ、集合意識だ、ワンネスだ、シンパシーだ、といってもなかなか実感できなくて、
「何のこといっているんだろ?」って思ったことありませんか?
僕はよくありました。
特に、
自分はいない。
何もおこっていない。
全てはただソレである。
といった”非二元(ノンデュアリティ)と呼ばれる思想がチンプンカンプンでした。
というのも僕はそういった類の読書が超好きで、
精神世界系の本を読んでは、そういった単語や事柄に触れていたからです。
そして、理屈や頭で理解しようとすればするほど、わかったつもりで変なことを語る変な人になっていました笑
これって、水泳をやるのに、水にも入らずに”泳ぎ方の本”を読んで、泳ぎもせずに次の本を読んでいるようなもんですね。
結局は、自分が直接体験して、
”あーこのことか〜”とならなければ、何も分かんないと思うんです。
さて、昨日、合気道の練習に参加してきました。
妹が鍼の治療をうけていて、その先生が合氣道も教えているということで、参加してみないか、というお誘いがあったんですが、
振り返ってみれば、ここはほとんど宣伝も出さずに少人数でやっているところで、まさに巡り会わなければ参加できない、合氣道の会でした。
僕は、格闘技が好きなのでもともと合氣道に非常に興味がありました。
中央区のスポーツセンターの武道場を利用して練習するのですが、
集まっていた人たちは、物腰の柔らかい男性たちや女性たちといった、今まで経験した”戦うオーラ”を出している格闘技とは全く雰囲気が違いました。
先生は60代くらいのやはり物腰の柔らかい人で、
教えるというよりは、”皆で氣を交流するのだから、先生も生徒もいない”と言うような感じでした。
そうはいっても、格闘技として興味のある自分は、
格闘技としての合氣道をしりたかったので、色々先生と交流しましたが、
先生は全く争うという”氣”をもってなくて、ただただ空気が一体となって、和やかな雰囲気でした。
そして、
先生の両手を両手でとり、投げてもらう、という練習のときにハッキリ感じました。
ここでの合氣道は、体の動きや、力の加減、といったものの前に、完全に違うものを使っていました。
それは、”意識”でした!
相手と手と手をとりあって、先生がしたのは、”意識”を変えることでした。
相手と対峙して相手に集中している”意識”を完全に違う方向に”切り替えてしまう”のです。
目線を外して、相手と違うものをさっとみて完全に相手に向けていた意識を移動してしまう。
そこで、相手はその意識のスイッチを感じて、その意識が相手にも伝わる。
その切り替えにあわせて、体が反応したところで、フォローとして体を動かして相手をなげる。
やはり、言葉で書いても限界がありますね^^;
僕は、合氣がかかり投げてもらった瞬間に、感じました。
自分と相手の気持ちというか”意識”が一つになるのです。
その瞬間は、ただただ相手と一体です。
今ここにしか現実はない。
全てはソレである。
自分はいない。
難しく感じていた非二元(ノンデュアリティ)が書かれていた本がありますが、
あーこれか!確かにこれは、言葉で表現するとそうなってしまう!
と感じました。
悟り、非二元、ノンデュアリティを知りたいという人は、
合氣道が是非おすすめです。
言葉ではなく、体で体感できるからです。
今回、動画や写真では伝えられなかったのが残念ですが、
紹介すると今回参加したのは十和の会 という合氣道です^^
P.S.
格闘技が好きなので、やはり他の格闘技と比べ合氣道は強いのか、などと先生と話しましたが、
当然の答えにたどり着きました。
仲良くなることを追求している人と、他人を制することを追求している人が、
二人いた場合。
”戦いは成立しない”
ですね^^