年末年始、ここが良かった、あそこをもっと改善できるっていう、意欲的な投稿を目にする。
僕も、
どんだけ達成したかっていう成果主義は基本的に好き。
キャリア、ファイナンス、人間関係、etc、、
喜びに生きたい。
そして、もう一つの大切な側面がある。
どんな心の状態でいれたかっていう存在主義。
実は、二つの間を行き来している。
結果がでたことは、もちろん良かった。
成果は素直に喜んでいい。
でも心の在り方を、探求できたことはもっと良かったんじゃないか。
成果は結果論だけど、
心の在り方の存在主義は、
本当の努力の賜物だから。
究極、成果・結果は運だと思う。
なるべくしてなったり成功もするけど、まだしない時期だってある。
というか、成功まではプロセスがあるから、時間差がある。
でも、どんな状態のときでも心の在り方には責任がもてる。
この前、たまたま立ち寄った図書館にレストランがあった。
そこでは、障害者の人たちが支援されながら働いていた。
ご飯を食べながら、ふと作業をしている少女をみた。
僕は息を呑んだ。
彼女は、まったくの無垢だった。
淡々と作業をする姿や表情に一点の曇りもない。
なんてピュアなんだと思った。
そこだけ、世界が輝いていた。
周りで指示を出す健常者の大人たちは、勿論優秀だろう。
でも、そこにいる少女のピュアな存在に僕は癒された。
思考がはたらいている間、
僕も多分にもれず成果を求める。
これからも、僕なりに色んなことやっていく。
思うように(思った以上に)成果がでたり、逆もっと欲しいとか、あるだろう。
でも、そもそもどんな存在で居たいんだろう。
あの少女のようにキラキラしていたい。
2018年。
思考は成果を求める。
これは勿論追求していく。
心は、どうだろう?
どんな状態でありたいんだろう。
もっと大切なものがそこにあるような気がしてならない( ^ω^ )