五
矢口隹
 疋



『吾(われ)唯(ただ)足(たる)を知(しる)』

と読みます。

これは、
川を挟んで・・・こちら側の川岸、から、向こう側の川岸へと渡るための方法を教えるためのものなのです。


川の、こちら側の川岸を『此岸』といって、娑婆のことです。


娑婆は煩悩で満ち溢れています。
その煩悩に責めさいなまれ、苦しみもがいているのが人間です。



より高い地位と名誉を求める。
際限なく金を欲しがる。
自分達の欲望を満たすためだけに信者を騙し、信者に多額の献金を要求し、

教祖一族は労することを嫌い、楽をして贅沢な暮らしをするための金をせしめようとする。


信者も自分の家族を省みもせず放ったらかしにして、
教祖一族に贅沢三昧な暮らしをさせることで、自分の家族も幸せな暮らしをさせてやっているのだ。

霊界へ行ったときには、必ず、それが分かるのだから。
霊界へ行ったときには、教団の信者である自分に泣きながら感謝する事になるのだから。

と思い込んでいる。


が・・・・・


それで幸せと言えるだろうか・・・・・?


信者達から搾り取った金で贅沢三昧な暮らしをして、
なおもラスベガスで豪遊する暮らしが本当に幸せと言えるだろうか・・・・?

それで心が満たされることはあるのだろうか?

教祖一族に『自分の有らん限りの力を出して生き抜いてきたぞ!』という満足感はあるだろうか・・・・?

それは、まあ、
『信者達を上手く騙くらかして全財産を巻き上げてやった!』という満足感はあるかもしれないが・・・・。


しかし、それが極楽(天国)の暮らしと言えるだろうか?


不安に襲われることはないのだろうか?
どんなに金を積んでも寿命を延ばすことは叶わないのだよ。

病の苦しみの中にあっても幸せを見出すことは出来るか?


教祖の子供達は、教祖の跡目争い、遺産相続争い、などの、教団内での権力紛争などありえないと思うか?


自分は神に選ばれた特別な人間である、と、思い込むことで、自分の家族も幸せが得られるのか?

それは、独りよがりの思い込みではないのか?



信者の家族は嘆き悲しんではいないか?

信者は家族に対して、自分を家族に忘却させる苦しみを与えたことはないのか?

教団に献金するために、家族の情に付け込んで、金をせびったことはないのか?


人を救済するという名目で、
人を騙すという勧誘活動を行い、その人の人生を踏みにじってはいないか?

人を救済するという名目で、
人の不安を煽り、全財産を巻き上げる手伝いをしていないか?


信者は従順に教団に従い、自分の家族を苦しめたことはないか?
自分の家族を苦しめ続けてはいないか?


このような行いの世界を極楽(天国)と言えるのか?

これは、満たされれば、満たされるほど、
なお、いっそう渇く『渇愛』というものではないのか?



以上は、
地上天国の建設を目指していると言っている統一教会(統一協会)という教団に、
正体を隠しての勧誘方法で勧誘され、
その中で、私が垣間見た世界です。