っていうか、どこの国の子どもにも、かけてはいけない言葉だと思います。
私は、こういう言葉を掛ける大人は〝脳足りん〟だと思っております。
私は、こういう言葉を掛けられ続けて子供時代を過ごしました。
私の場合は「勉強しろ!」ではなく、母と兄の『母親の代わりをしろ!』と母に言われ続けて子ども時代が終わりました。
①自信感をなくす言葉
おまえはほんとにそれしかできないの?
おまえは誰に似てそんなんなんだ。
おまえが一歳二歳のあかちゃんか?
私が心の中で思っていたこと。
・1~2歳の赤ちゃんは、お母と兄貴やろ
②自尊心に傷をもたせる言葉
それでも(男、女)かよ?
おまえは(兄、姉、弟)なのに
そんなことをするのか?
おまえは母親の代わりもろくに
できないのか?
私が心の中で思っていたこと。
・ちゃんと母親をやらないといけないのはアンタやろ
③自由性を止める言葉
つべこべ言わないで、お母が言うとおりにやればいい。
お母が何にもしなくていいよう、おまえが、ちゃんと主婦をやれ。
私が心の中で思っていたこと。
・あんた(お母)は子どもか
④不安にかられる言葉
おまえを、お母とお兄ちゃんの母親にするために産んだんや!
おまえが母親の代わりができないのなら産むんじゃなかった!
おまえのような子供は、お母の子供じゃない。
私が心の中で思っていたこと。
・それやったら、初めから産むなや
⑤意欲を喪失する言葉
大人になっても死ぬまで、お母とお兄ちゃんの面倒を見るんやで!
一人前に自分の事ばかり考えるな!
お前は、お母とお兄ちゃんに母親やねんからな!
もっと、ちゃんと母親をやれ!
私が心の中で思っていたこと。
・子供に親の代わりができるわけがないやろ
⑥負担を与える言葉
お母とお兄ちゃんの母親は、お前しいんだから!
全部お前の為にしてるんだ〜
もっとお母とお兄ちゃんを大切にしろ!
私が心の中で思っていたこと。
・子供に親の代わりができるわけがないやろ!
お母と兄貴は何を考えとんねん
⑦創造性をなくす言葉。
余計なことをかんがえんと母親をやれ!
と言われ続けて私は大人になりました。
だから私には子ども時代がありません。
幼稚園の頃から、お母さんをやらされておりましたから。
だから大人との会話も楽勝でこなしておりました。
近所のお婆さんに漬物の付け方を教えてもらったり。
周りの大人たちは母ではなく私に、『今晩の、おかずは決まったんか?』と声を掛けていました。
それがまた母には気にらなかった模様でした。
自分を差し置いて何で子供に声を掛けるのか!?って。
という具合で幼稚園の頃から主婦みたいなことをやっておりました。
だから・・・・私の主婦歴は半世紀以上になりますね。
学校で何が嫌いって調理実習が一番嫌いでしたね。
『学校に来てまで、ご飯を作りたくない!』って思っていました。
それと私は勉強というモノを家でさせてもらったことがないんです。
私が勉強ができると分かれば親父が勉強に専念できるように母に家の事は全部、母にやらせますからね。
母は家の事をしたくない。家事ができないことを隠すために私に勉強をさせなかった。
それと親戚から要らなくなった参考書を貰ってきて勉強したら楽勝で兄を追い抜いたことも手伝って、私が勉強することは厳禁!とされました。
だから私は独学で母と兄に隠れて勉強しておりました。
ほとんど自分の関心ごとが中心でしたけど。(^^;
だから私の知識の大半は独学です。
私が大人になったとき、、、、、
立ち位置が逆転しました。
親父に次いで私が第二位となっておりました。
家は純粋に実力主義でしたから。
いくら勉強だけが出来も、それを実用化できなければ無用の長物として扱われました。
少ない知識でも、それを最大限に応用して実用化するものに権利を与える家でした。
家の順位は、
①親父。
②母親役の私。
③年だけ多い母
④自分では何にもできない兄。
の順位が確立されていました。
それでも母は、それを無視して私から不当に権利を奪い取り兄に与え続けていましたけどね。
だから私は最終的に、何のわだかまりもなく、見捨てました。
その結果、兄は年だけ食って何にもできないオッサンになりました。
溺愛し続けてくれた母が他界した後、兄は自分を養ってくれるはずの幻の老人を求めて南の島へと旅立ち、そこで行倒れて野晒しとなったらしい。
その後、私を長年悩ませていた体調不良は劇的に回復いたしました。
めでたし。めでたし。