昔、昔、私がまだ若かりし頃、、、薩摩弁について調べたことがありました。
独学で。
独特ですからねー。
薩摩弁。
薩摩藩の内と外とでは、全然、違っていたのですよね。方言がね。
なんでなんやという疑問から調べ始めました。
江戸時代に入ってから徳川幕府は薩摩藩に向けて再三にわたり密偵(スパイ)を放っていたらしいです。
薩摩藩は徳川幕府の禁令を破って密貿易をしていましたから。
密貿易の窓口は琉球でした。
薩摩藩の中に直に窓口を置いたら徳川幕府にバレバレですからね。
薩摩藩は琉球に密貿易の窓口を置いていました。
でも、それだけじゃなかったんですよね。
薩摩藩はキリシタン(現在のクリスチャン)も保護していました。
そのことも徳川幕府に知られないように、あの独特な方言を編み出したみたいなんです。
徳川幕府の密偵(スパイ)が九州地方の方言を身につけて薩摩藩に踏み入ったとしても言葉が全く違いますから薩摩藩在住の人は「よそ者が来た」と簡単に見破ることができたらしいです。
で、、、徳川幕府の密偵(スパイ)は何も得ることなく薩摩の地を立ち去ったらしいのですが。。。
それまでの武士道とは全く違う西郷さんの考え方も聖書に由来しているという方向から改めて見てみると納得できますね。
聖書は、とにかく分厚いですからね見ただけで敬遠したくなる人もいると思いますが、、、
西郷さんについて、もっと知りたいと思う方は、時間をかけて読んでみてもいいかも?
聖書は、一回、読んだだけでは理解できるものではありませんから執念と根気が必要になりますけど。
イエスさまの誕生月の12月という「ご縁」で聖書の取説を守りながら読み始めてもいいかな?と思います。
人間の精神文化の歴史書ですから娯楽私小説のように面白い読み物ではありませんけどね。
様々な人の生きざまが垣間見えるだけですけど。
私は、
人の道を踏み外した母や呆けナスの兄貴のような奴等でも、その息が切れるまで神は寄り添ってくれていたのかと思いながら読んでいるとムカついてくるのですけれどね。💢ッ
まあ聖書を読んだ感じ方は人それぞれにあると思います。