父、森乃石松と娘のヨシ子は家に帰り、遅い晩飯を食べていた。
母のサチ子はというと、司が一緒に帰ってこなかったので迎えに行った。家から4~50メートル離れた地点まで。

それから約20分くらい経って司が母に連れられて家へ帰ってきた。

静かに玄関の引き戸が開き、
『早く上がって、ご飯を食べい。』と、司に優しくささやく母のサチ子の声が聞こえてきた。

石松とヨシ子は黙って遅い晩ご飯を食べていた。

サチ子は司を食卓に着かせ茶碗に飯をよそって、それを司の前に置き『司も、お腹がすいたやろ。早く、ご飯を食べなさい。』と、何事もなかったかのように優しく言った。

司は『・・・・・』黙ったまま、また泣き出した。

石松は、『泣いとらんと早く飯を食え。』と、だけ言った。

司は泣きながら晩飯を食べ始めた。
いつもなら約5分ほどで食べ終える早食いであるはずの司なのだが、今夜に限って、なかなか食べ終わらない。もう食べ初めて約1時間余りが過ぎたというのに。

石松は『いつまで食うてるのや。早く食うてしまえ。ヨシ子は30分も前に食い終わっとるぞ。』と言いながら司の背後から茶碗の中を覗くと、、、

茶碗の中は空であった。空の茶碗の中で箸を動かし、口を動かし食べている動作をしていたのであった。

石松の『お前は、まだ親を騙そういうのか!? まだ人を騙し続けるっちゅうのか!?』と怒る声が家中に響いた。
石松は深呼吸を1回して、
『お前が盗みを働いたのは、これで何回目や。』と司に聞いた。

司は『に・・・・・や。』と、よく聞き取れない声で返事をした。

石松は、『聞こえへん!もう一回、言うてみい!』と再度、聞きなおした。

司は、『に・・・・・・けや。』と口ごもった返事しかしなかった。

石松は、『お前は、まともに、ものも言われん人間になってしもうたんか!? 』と、司が口を開くのを忍耐強く待った。

暫くして、、、
ようやく司は小さな声で、『2回だけ、やった。』と言った。

石松は大きなため息を吐いて、
『お前は2回も泥棒したんか。1回目は同級生に脅されてチューインガムのセットを駅前の市場の裏通りにある、お婆さんの店から盗んでんなぁ。あれから、もう直ぐ2年が来るけど、あのとき、あれだけ怒られとんのに、まだ、お前には泥棒することが悪いことやとは判ってなかったんか!? お前には、まだ性根が入っとらんかったんか? なんぼ言うても判らんのやから、明日の朝、狸にしょうな。』と司に言った。


司は父に、『狸は嫌やーぁ!お父ちゃん、狸にせんといてーぇ!狸にされるんは嫌やーぁ!』と哀願したのだが・・・・・

父の石松は『寝るどーぉ。お前らも早よ寝ぇよ。』と言ったところで・・・・

母のサチ子が『司は優しい子やねんから狸にせんといたって。』と言い、
『司が悪いことをするのはヨシ子が居るからなんやから、ヨシ子が居らんかったら司かて何も悪いことはせんのやから。』と続けた。


それを聞いた石松は暫く黙っていた。
そして、『そないに要らん子やったら他の人にやれや! ヨシ子を欲しがってる人は、たくさんおるのやから。今からでも電話したら直ぐに連れに来てくれるんやからな。ヨシ子を誰に貰ろうてもらうのや! 誰にやるんや!?』とサチ子に聞いた。


サチ子は、『・・・・・。』何も言わなくなってしまった。

石松は、『他人から、くれ。くれ。言われたら惜しいなって、ようやらんのやろ。それやったら、要らん子や言うな! 司もヨシ子も、お前が産んだ子と違うのんか!? どっちも自分の子のに何で差を付けるのや!?』とサチ子に問うた。

サチ子も、『誰も要らん子やなんて言うてないやない! ヨシ子が悪いことをするからやない。ヨシ子が悪いことをするから、司がヨシ子のまねをして悪い事をするのやないの。司やなくてヨシ子を怒ってくれたら、司かて良い子になるのやから。』と、司ではなくヨシ子を怒ることを石松に要求した。


石松はサチ子の言い分を黙って聞いていたが、
『お前は、ヨシ子が悪いから、司も、それに釣られて悪いことをすると言うているが、自分で言うてておかしいとは思うたことはないのか?ヨシ子は妹やぞ。
司は妹に影響されるほどの《とんでもない出来損ないや。》と言うているのと同じやぞ。自分の言うていることがおかしいと思うたことはないのか?』と石松はサチ子を諭すようにいった。


サチ子は、『そうかて、ほんまにヨシ子が悪いから、司も悪い事をするようになるのやない! 司が悪いのと違う! 悪いのはヨシ子なんやから。』と言うばかりで、

石松が何を言ってもサチ子は全く聞く耳を持とうとはしなかった。

それでも、石松は、
『ヨシ子は何にも悪いことはしてへんかったやろ?
2年前も、そうやったやろ?
司が同級生に盗みを強要されてたときもヨシ子が止めさせようとしてたやろ?
今日かてそうや。ヨシ子は何にもやっとらんかったぞ。井之上のお婆さん(駄菓子屋の老婆)に、その時の様子を直に聞いてきたんやさかいな。』と、


サチ子に現実に起きている出来事を悟らせようとしたのだが・・・・・

サチ子は、『あんな、どこの馬の骨とも知れん村のお婆んの言うことを信用するんかいな!? 司の言うことよりも、あんな村のお婆んの言うこと信用するいうんかいな!?』と黄色い声で癇癪を起こした。

その直後、サチ子の顔面に石松の右の平手が直撃した。

石松は、『あのなぁ!どこの馬の骨とも知れん村のお婆んとはなんや! お前に井之上はんの何が分かるっちゅうのや! 井之上のお婆さんは、お前よりも、よっぽど確りしとるぞ! お前よりも、よっぽっど自分の分ちゅうもんを知ってるで!
あの、お婆さんが、お前に何かしたんか?』とサチ子を叱ったのだが、


サチ子は、『そやかて、村のお婆ん、やないか? みんな、言うてるやないか!』と手の付けようのないほどに喚きたてた。

『みんな、て、誰々や⁈ 名前を言うてみい!』と石松は問うたが、

サチ子は『みんな、言うたら、みんなやぁ!』と喚きたてた。

この直後、サチ子の顔面に、今度は、石松の左の平手が直撃した。

石松は、胡坐を組んで座り、じっと目を閉じて深く大きな息をしていた。

暫くして、、、
石松はサチ子に向き直り、
『お前が言うているのは、ただの差別や。人間の値打ちというものは身分や階級や男や女と、いうものと違うねんぞ。
人間の値打ちはなぁ、その行いと違うのんか? 自分が痛い目に遭いたくないために、自分の、その行いを人に擦り付けるような人間に何の値打ちがあるいうねん?
このまま、司に躾をせんと、事の善し悪しを教えんと、お前みたいに猫かわいがりしていたら、司は、とんでもない出来損ないに出来上がってしまうぞ。それでも、お前は、ええと言うのか? 「司だけを可愛がりたい。」という、お前の欲求が満足しさえしたら、それで、ええのか?』石松は大きな溜め息吐いた。


しばらく経って・・・・

石松は『こんだけ言うても分からん。と言うのやったら仕方がない。好きにしたらええ。
その代わり、最後には、お前が、自分で責任を取るのやぞ。誰にも、お前等のケツを拭かすなよ。自分のケツは自分で拭くねんで。』と続けた。


その後は静かな夜の時間だけが流れた。