よるドラ「ここは今から倫理です」の最後の問いかけにあったので。

私の場合、心を癒す。ではなく、心を破壊されないために「割り切る」ですね。
誰が心を破壊するのか❓
それは母と呆けナスの兄貴にです。

母と呆けナスの兄貴は怪しい教団(創価学会と統一協会)にドップリ浸かっていましたからね。
私のストレスは半端なかったです。

私が子供の頃に母に思っていたことは、
『家の事も子育ても真面に出来へんのに、よく結婚して子供を作ったなぁ🤔』
でした。

本当に何にもできなかったのですもの。

家の事も、役所の手続きさえも、何にもできなかったのです。
あ。
洗濯だけは出来ました。
ご飯炊きも出来たか。

ご飯炊きと洗濯は私にやらせなかったから。
毎日の「おかず」は私が作っていました。

いつからか・・・小学一年?
幼稚園の頃は親父の「おかいさん」を作っていた記憶しかありませんから。

小学生の頃は、毎日、おかずを作っていました。
作る者の権利として私の好きなモノを作っていましたけどね。

でもね、カレーと、すき焼きを作った時に、
親父が、『「¥」がないねんやったら言わんかい。』と言いました。

「¥」が無いわけではないのですよ。
子どもの頃の私は🍖🍗🥩肉が嫌いでしたから。

だから、肉なしカレーなんです。
肉なしすき焼きでした。

で、、、、

肉の代わりに「ちくわ」か「厚揚げ」を入れていました。
けっこう美味しいですよ😋

後は、

母も呆けナスの兄貴も役所の届け出や手続きが出来ない。
本当の事です。
信じられないでしょうけど。

役所の届け出や手続きは私が母を区役所に連れて行って書類を書かせていました。
私が18歳になるまでね。

18歳未満では役所に届け出をしても役所に受け付けてもらえませんでしたから。
届け出の内容が分からなくても母に書いてもらわなければ役所が受け付けてくれないのですから仕方がありませんよね。

母も呆けナスの兄貴も年だけ食って思考能力は乳幼児並みでした。
っていうか乳幼児から進歩がないのです。
思考能力の。

暗記力だけは常人をはるかに凌いで学校の成績だけは常に優秀でしたのに。
学校に行っていたときは「末は博士か大臣か」って言われていたのにね。

学校を卒業した後は、長―――――い、余生で、親父と私にぶら下がって《ご隠居さん》をしていました。

そんな暮らしの中に「心の癒し」なんてありませんよ。

母と呆けナスの兄貴に心を破壊されないように科学的理屈で完全武装して「割り切って生きる」以外に自分を守る方法が見つかりませんでした。