年の暮れに、母親ミッションは終わった気がするのに、
2年以上も引きずってた失恋のことも、ちゃんと乗り越えたのに、
サターンリターンさえもあたたかく迎えてくれていて、なのに。

世界はまだつっかえていて、なんだろうこれは、ってずっと思ってた。
ウキウキしながら、断捨離して、心細くなって、年末年始をひとり釧路で過ごしていて、それは降ってきた。

わたしは、いかに、
ふるさとっていうことに、
まちづくりっていうことに、
拘泥していたんだろうか、っていうこと。
これは、なんども迫り来るテーマだったけど、
当たり前すぎて、ちゃんと関わらずにいたんだと。

ばかみたいだけど、端からみたらほんとわけわかんないだろうけど、
死ぬほど、わたしは、ふるさとを愛していた。
厳密に言うと、愛するという形にすることで、だれも食わないような恩をふるさとに拭いつけていたんだ、っていうこと。


ほら、ごんぎつねみたいに。

「ごん、お前だったのか」って死ぬ前に言われたってわたしはうれしくない。
人に恩着せがましく渡した物の量で、人生の価値を計ったりしたくない。
今生きるわたしの輝きを、一心にあじわいつくして生涯を終えたい。

その界を、この年明けは導いてくれた。



わたしには、根深い疎外感があって、コールタールみたいに胸の底で淀んでいた。
なんだろうって思うと、いつも母や姉が出てくるから、なんかアダルトチルドレン的なあれかしら、ってずっと思ってたんだけど、ちょっと違ったんだよね。


どんなに愛しても、この土地では、わたしは「ヨソモノ」でしかいられないっていうことが、わたしを支配していた。
どんなに、だれよりも思ったところで、お前みたいな、部外者が、何言ってんだよってずっと言われる気がしていたのね。


わたしの家は、愛知の片田舎の小さな町に、祖父の代から移住していた。3代目なんて、そこじゃ、まだどっか「新参者」みたいに言われるのを、周りの振る舞いからみていて、ずっと、心細かったんじゃないかな。


わたしは大学時代から、インターンだの、就活だの常になにかしら「まちづくり」ってことにしがみついてやってきた。
それは、もう、元をたどると小学校時代からのトラウマとか関わってくるんだけど、もう、星回りがごもっともすぎて笑える。


わたしのアセンダントは
★天秤座の19度で「権力に屈しないアウトロー集団」。<未知の可能性にかける>。そのものすぎて笑うしかない。
まずは、ヨソモノというアイデンティティーを持つしかなかった。
それが、一昨年まで、地元に帰って働くことで、一旦の終止符を迎えたのね。


そして、リリスが疼く。この年末も、畳み掛けてきたのはリリスだった。
★双子座27度「森から出てくるジプシー」。
ふるさとという森を捨てて、より広い世界へ歩み出す。
そこに、傷があるの。実現してはならないと思い込んでいる欲望が、そこにある。


こんなところまで出てきておいて、だれにも言えないな、と思っていたけれど、やっぱりずーっと、さびしかった。
自分でも整理仕切らないまま、いろんな人の良心を傷つけて、旅立ってしまった気がして、頼まれもしないのに、ずっと、ひどい罪悪感を持っていた。




つづく



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