身近に、
「ぜんぜん信じない」っていいながら、いろんな占いや心理学の本持ち歩いてる人がいて、それを見て、ここのところわたしはすっごくいらだっていて。
 
 
まあ、それはわたしが占星術に関心があったり、数秘みてたりするからなんだと思うけど、そのいらだちも、だいぶ落ち着いてきて、でもまだあたたかくその人を見れないわたしはなんなんだろうってずっと思っていて。
 
 
基本的に占いが当たらないっていうひとはいやです。
むしろ、そんなに自分の知性の低さを見せびらかして、何がしたいんだろうって思う。
そんな、太陽星座だけで、全部言い当てられるわけないじゃん。どんだけ単純にいきてんだよ。数秘だって、パーソナルナンバーだけで、全部説明つくなら、肉体いらんわ。
 
 
それだってさ、真摯に受け止めて、楽しんだり喜んだり、活かしてる人はいるわけだからさ、「当たらない」ってはねのけることで、自分の感受性を押し込めてるんだ、っていうことに気づけよな、と。
 
 
一側面だけみて、先人が積み上げてきた叡智をバカにしているし、その浅はかさに気づくつもりも一切ないし、あてものとしてだけみてる時点で、関わりたくないし、
(そのくせ、そういう人に限って、大した対価も支払わずに、お前の技量をみてやるよみたいなこといってくる。ふざけんなや。)
いちいち裏ばっかりかいてきて、時間のムダだし、なによりも、自分の人生を信頼してないんだな、とおもって悲しくなる。
 
 
だってさ、ギター好きだって言うひとに、
そんな人工物で騒音たてて何が楽しいの?とか聞く?
音なんか見えないじゃないか、良さを伝えたいんだったら、
音に色つけてみせてみろよ!とかいう?
 
 
そこの枠組みはメジャーだからってすぐ受け入れるくせに、
ちょっとマイナーになると、わざわざつっかかってきて拒否反応を示すのが、ほんとうにいや。
好きなら好きでいいじゃん。
 
 
占いなり、占星術なり、見えないものをみるっていうことは、偶然に焦点を当てて、出来事をいろんな視点で見てみようって試みじゃないか。人生なんて偶然のかたまりなんだから、自分の人生に責任を持って、あじわいつくすことの第一歩なんだって思ってる。
 
 
占い嫌いって言うひとは、目に見えるもの以外信じません。
俺を信じさせたいなら、ちゃんとわかるように持ってきておいでよ、って感じがして、その傲慢な受け身な姿勢が嫌なんです。
 
 
つづく