っていうかね、いちいち突っかかってくる人は、

 

どこかで、そこにすがりたかったって気持ちがあるから。

 

本人が自覚していても、いなくても。
そこで、あきらめた時の気持ちが、攻撃性に転換しているのが、
見ていて、ひどくさびしいんだよ。
それはちいさなわたしの投影だから。
 
 
わたしが、こんな世界に足を踏み入れたのは、
「環境活動」とやらに首突っ込んだのがはじまりで、
まあ、あの時のわたしは、ほんとうにいやなやつでしたよ。
 
 
あのころの愛知県はね、愛知万博からの流れで、
市民運動といえば、環境活動みたいなところがあって、
なんか課外で活動したいなーと思ったら、
環境っていうのがいちばん手っ取り早かったのよね。
 
 
そこに、わたしはちょーきもちわるい感じで乗り込んでいった。
 
 
名古屋の都会のど真ん中で、コンクリートジャングルで、環境とか叫ぶやつらがムカついてしょうがなかった。お前らの愛する田舎やら自然とやらに、ずっと苦しめられてきたんだ、こちとら。こんなとこでなにがわかるの?バカじゃん。ってずっと思ってた。(ひどい)
 
 
だから、どうにか鼻をへし折ってやりたくて、わたしはそこにいったのね。
なんてひねくれた情熱。。。
もっと楽しいことに目を向けたらよかったのにね。
ごめんなさい。そこはさそり座4天体だから、根っからのマゾ気質だから、逃げられなかったんです。
 
 
それでも、あのとき、
なんだかんだ言いながら、ほんとうにまっすぐな愛で、
わたしを受け止めてくれた仲間がいて、
そのおかげで、わたしはいつも、ほんとうの自分に戻ってくることができた。
わたしがいつもしたいのは、
そして、体感しすぎて、それしかできないのは、
その愛の部分です。
 
 
 
あのとき乗り込んでいった、わたしのひねくれ方、ひん曲がり方と、
占いに過剰に反応する人の見え方は、
わたしにとって一緒なの。
 
 
ひどく傷つきながら、ひどく怒りを持ちながら、
それでも、かすかに、そこに希望を持つことをやめられない。
 
 
だったらおいでよ。
見苦しくたっていいよ。受け止めるよ。
 
 
世界がこわくて、
どこから手をつけていいかわからないなら、
わたしが窓をつくってあげる。
安全なフィルターを掲げてあげる。
だから安心して。大丈夫。
 
 
何度裏切られたって、ちゃんと戻ってくることはできる。
いつだって遅くない。
だって、まだあきらめきれないでしょ?
 
 
あなたの宇宙を、見せてあげる。
 
 
大丈夫。安心して。
世界はいつでも、あなただけのためにある。
 
 
あなたの魂は、いつもそれに気づくのを望んでいる。