ほんとうに、本当に愛って深いんだなあと思った。

バレンタインのプレゼントみたいに、
このうたはやってきて、深い愛の大きさを、私に教えてくれた。


「永遠のもっと果てまで」(作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂)


松田聖子の歌う、この歌を、私は全然知らなくて、今週、初めて知った。
私は、神田沙也加世代だから、全盛期の松田聖子を知らなくって、最近目にして恐れおののいていたところ。

彼女が、「惑星になりたい」って曲を出しているのを知って、ここのところ星にどっぷりはまっているわたしは、気にせずにいられなかった。
松本先生がかいた詩なら、もっと気になる。

見かけだけのリップサービスみたいな切り貼りのうたを、あんなに愛と時間を込めて育ててきた松田聖子の35周年という節目に、松本先生が贈るなんてことがあるだろうか。


最初は全然わからなかったけど、本当に、先生の繊細な言葉のきらめきは、きちんと語りかけてくれた。


◇◇◇


わたしの誕生日近くに発売されたそのうたは、私のもとへ4ヶ月遅れでやってきて、やっぱりこれは、ほんとうに、松本先生からの愛のプレゼントだとしか思えない。

そうか、このうたは「人生の讃歌」って紹介されてた。
生まれてきたことを祝福されてる。

ああ、どんなバレンタインプレゼントだよ。こんな大きなプレゼント、もらったことないよ。


松本先生は、私にとっても、土星なんだよ。
戻ってきて、私のサターンリターンを祝福しに来てくれたんだ。

◇◇◇



『永遠のもっと果てまで』は、生命の樹を辿って天体を開発していくうただって思う。
私は、ホロスコープと生命の樹のつながりを、海部舞さんに教わった。



生命の樹と天体 サビアンシンボルとわたしたちの発達進化について


北條毅さんによれば「人は、人生でホロスコープの完成を目指している」ということを言った人もいるそうだ。
天体を知り開発する、それは自分の可能性を最大化するということ



土星期の松本先生が45年育んできたものと、木星期の松田聖子の35周年を全てつぎ込んで、人生を祝福するうた。


本当に、嘘みたいに綺麗に当てはまるの。
松田聖子の素顔、蒲池法子という月を抱えて、太陽という「帆をあげた」船に乗り込む松田聖子が、今までの道のりにスポットライトを当てながら、生きる意味を祝福する。


土星は、扉なんだ。
そして、木星は燃料。太陽という船を加速させ、力づけ、祝福する。
まだ見ぬ永遠の向こう側、肉体では辿りつけなかった冥界(冥王星)へ向かう。


松本先生は、扉を開いて、聖子が力強く走り抜けるのを心待ちにしている。

沈みゆく夕陽は、太陽期の終わり、土星期を暗示する。
それを、絞ってジンジャエールとともに飲み干してほしい。
溶かすとかじゃないの。絞るの。吸い尽くして、血肉にしなさい、豊かな「アワ」の源にしなさい。そして、私を超えてゆけと語りかける。


一行目のこの愛の深さだけで、もう泣きそうなのに、「あなたの記憶」は「いいところだけ」拾い集めればいいっていう。


極めつけは「この涙の重さ」。これは月である蒲池法子が、「あなた」へ伝えるの。「あなた」は土星でもいいし、冥王星でもいい。


ああ、知らなかった。
神(冥王星)は、肉体を持てない。だから、肉体を持って生きるその意味のその重さを、訴えかけなさい。体現してほしいって語りかけるの。


はるちゃんの記事とか読んでると、子宮という女帝は、神は、どれだけ強いのかと思う。どれだけ腹黒くて、どれだけ強いのかと。


でもね、(もちろん、はるちゃんも言うように)ほんとはそれだけじゃない。神は、冥王星は、待ってるしかないの。
すべてを操れる偉大な力を持っているけれど、本人が、肉体を持った月から太陽までの天体が、そこに気づかなければ、抵抗し続ければ、何も成就しない。


神は、肉体を持たなければ、何もなし得ることはないし、肉体は、神がいなければ奇跡を感じられない。
どっちが偉いとかじゃない。どっちもないと成立しないの。


神が求めることは一つだけ。ただ、月をはじめとする天体を感じきって、体現してほしい。その奇跡を見せてほしい。それだけ。
だから、「この涙の重さ」を「あなた」へと伝えることこそが、生きている素晴らしさなのだと。宇宙の創造主は、肉体を持って生きる私自身でもあるのだ、と。



このうたはね、松本先生から、松田聖子への最後のプレゼントかも知れない。
生前贈与。先生のすべてを込めた大いなる贈与。


土星は、個を閉じる扉。
内部を守るため、松田聖子としての世界を確立し、守るために、閉ざされていた扉。
それを、先生は開いた。
守るための硬いガードは、窮屈に縛り付けることもあったかもしれない。それをほどいて、開放する。
開放、手放しこそがすことが最大のプレゼントなのだと、先生は思い至ったのだと思う。


先生は、先人が築いてきた叡智を、後世へ手渡した。
それは、もしかしたら、昨年、毛細血管でつながった盟友を亡くしたことで、決意したのかもしれない。


素手でもぎ取られたような心臓に、自ら息を吹き返して、それを、そっと次世代へ手渡す。
これ以上のプレゼントが他にあるんだろうか。

それをすべての天体をつかって、体現し尽くす聖子。
本当に、どんな因果なんだろうと思う。


松本先生は、松田聖子の歌声にすごく惚れ込んでいるのだそうだ。
あの声で歌われると、作者冥利につきるのだと。
松本先生は、その詩の世界観を、松田聖子を通して体感してきたのだろう。
松本先生の宇宙は、松田聖子を通してしか具現化されなかった。
また、松田聖子も、そのはかり知れない才能は一人では体現しきれなかった。

2人はお互いに、冥王星であり、月であった。


そして、物語は、両A面の「惑星になりたい」へとつづく。
冥王星まで飛ばした意識を、また地上に戻して、それぞれの天体を開発していく。
開放された先で、互いの宇宙を「付かず離れず」体現していくの。
あれは、二人の新しい挑戦なんだ。






ああ、受け取ると決めたら、いきなり大きすぎるプレゼントをもらった。

退蔵することは許されない。人間的に生きたいと思うから。
自分なりに「うまく使う」仕方を、生み出していかねばならない。

才能の枯渇について



私は、持ちうるすべての力を使って、返戻していくしかないのだ。
どんなにつたなくても、どんなに小さな声でも。
まずはこの記事が第一歩。


そして自分の太陽を生きること。贈与者になること。
まずは、自分の月と金星から満たしていくこと。


月と金星(居心地の良さと楽しさ)を追及し満足させなきゃ、太陽(自分の生きる道)なんて開かんぜ?












 


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宇宙を血肉にするのだ。