昨日とある方からメッセージをいただきました。
数日前ご一緒したレストランでお料理に添えてあった2センチ程のローズマリーの葉
その方は、ソースを綺麗に拭い、大切そうに持ち帰られたのでした。
持ち帰られた意味が分からないまま私は会話が進み




「先日のローズマリー、水に浮かべておいたら一ミリの根が出て来たよ!」と!




そうだったのか!
彼女はローズマリーが生きて、更に成長することを知って持ち帰ったのだと。




農業やガーデニングなど植物を育てたことがある方は理解できるとおもいます。
土と養分、そして太陽や、時には水(雨)
どの役割も、「多すぎても成長しにくく、少なすぎても成長しにくい」という絶妙な法則があると思います。
けれども理論はもとより、実際に育ててみないと解らないことがある。
基礎的なことと言えば植物を植える時、土は常に柔らかくふわっと根を保護するという感覚も必要で、土を入れて苗を植えた後、上からガチガチに人間の手で固めると根は育たなくなるとか。。。
その絶妙な感覚
一緒に食事をしたその方はその「絶妙な感覚」を知りえているようだった。





私はバラが大好きで、一時バラの栽培にハマったことがあった。
バラは病気になりやすく害虫にもやられやすいと本を読んで勉強した。
そして予防した。
「害虫がつかないように」
「病気にならないように」
一年経ち、どんなに神経を使って育てたバラも
「枯れたもの」
「成長し花をつけたもの」
二つに別れたのでした。
意識を置いて「育てようとした」お庭の区域の他に
実は意識がいかない庭のある場所に一本のイングリッシュローズを植えていたことを私は忘れていた。





手塩にかけて面倒をみた場所と
意識がいかなかった場所





驚いたことに「意識がいかなかった場所」に植えた薄紫のイングリッシュローズは
勝手にシュートという力強い茎を延ばし、季節外れの冬に大きな一輪の花を咲かせたのでした。





なせ今朝こんなことを書きたくなったのかというと
子育てでも
何かの教育に携わっている方でも
こんなご経験はないだろうかと考えたからなのでした。




例えばたくさんの子ども達を見るという立場や
自分の子ども達を見たときに
そのとき親の意識や教育者としての意識が掛けられなかった子どもに対して
「勝手に大きく成長していた」という子どもがいたことに後から気がつくという場面が!




強いもの、先に生きているものが何事も知識があり、
後から生まれたものを引っ張っていくという意識には私には大きな過信があると常に感じていて
弱々しく不完全だととみえるものから教えてもらうことは沢山あるのです。




常に関わるものに対しての関係性は相互的であるということ。
教えるという意識より
「伝えあう」という意識のほうが私は好き。




それは
親子
恋人やパートナー
上司と部下
先生と生徒
ともすれば
自分とペット
自分と植物




全ての関係する事柄、モノに対しても言えることなのだと最近特に感じているのでした。







昨日見て来た映画「CREED」
ボクシングのチャンピョン「ロッキーバルボア」が次世代のチャンピョンを育てようと決心した相手とは過去の敵「アポロ・クリード」の息子。
背景はどうであれ、「感謝と次世代の成長を願った」ストーリー
ロッキーがクリードを育てていく凄腕のコーチ。それはまるで植物を育てるときのような絶妙な自体験からくるものをクリードに伝えようとする。
そしてクリードからもロッキーに伝わった大きな「愛と感謝」があったのだった。