フヂヲ、日曜日に、いつものように、TOEICを受けるの。

受験票届いていたのに、忘れていた…。

あ、そういえば、

証明写真のストックがないや。


というわけで、

昨日、デジカメでフヂヲの顔を撮ってもらったフヂヲ。

でも、そのお顔、あまりに見るに耐えない出来だったので、

今日、再び別の方に撮ってもらったフヂヲ。

でも、それも、気持ち悪すぎて我慢が出来なかったので、

結局自分でセルフタイマー機能を用い、

1人撮影会を行ったフヂヲ。

自分1人だけでやってるから、

いくらでも取り直しが出来るものね。

もし誰かに撮ってもらって、何度も撮り直しを求めたら、


何度撮ったところで気持ち悪い顔がマトモな顔に変わるわけでもないのに。

バカねー。


って思われるのは必至。

だから、ヒトに撮ってもらうときは、

納得できなくても、ありがとーと言って、

あっさりと切り上げましょう。

…「納得できない」って、

自分が一体どんな顔してると思ってるのかね、フヂヲは。

パパッと撮られた写真に写っている、

この世のものとは思えないほど気持ち悪い顔こそが、

フヂヲ自身の本当の顔だというのに。

そして、常にその気持ち悪い顔を振りまいて、普段生活しているというのに。

それなのに、

写真に写っている自分の顔を、


こんなの自分じゃない!!


と、否定するフヂヲ。

そのとき、


いや、それがあんたの顔なんだよ。

あんた自身なんだよ、フヂヲ。

いい加減、自分の顔が世界で一番気持ち悪い、という事実を受け入れたらどうかね。


という、正しい自己認識を促す心の声も聞こえてくるのに、

その声には耳を塞ぎ、


違うの、違うの。

今回だけ、たまたま気持ち悪い表情をしちゃっただけで、

本当のフヂヲはもう少しマシな顔してるのの!!


と、言い聞かせ、

何度も何度もセルフタイマーのスイッチを押し続けるフヂヲ。

…キモイ。

愚かである。

もはや、滑稽でさえある。

たとえば、

写真を100枚撮って、

そのうちの99枚が納得できなくて、

1枚だけ、何とか受け入れられるものがあったとしよう。

これはどう考えても、

その1枚が奇跡的に上手に撮れたものであるだけで、

普段の生活では、ほぼ100%、残りの99枚のような気持ち悪い顔で過ごしているのである。

そして、実は他人から見たら、

その1枚と99枚の違いなんて、

「…同じじゃん。」ってなもんである。

これを滑稽と言わずして、何と言おう。

ま、キモイ、とも言えるけど。


あー、気持ち悪い気持ち悪い。

自分の顔自体が気持ち悪いし、

自分がその顔を持っているという事実が気持ち悪いし、

その事実を未だに受け入れられない自分がいることが気持ち悪いし、

気持ち悪い気持ち悪い、と言いながらも何度も写真を撮っている自分が気持ち悪いよ。