平安時代は
①藤原氏→②上皇→③平氏で栄えていった。
みんな共通したあることで権力を維持したんだ。
①藤原氏
中臣鎌足の子孫だな。
摂政(天皇が子供)、関白(天皇が大人)で摂関政治。
藤原道長は娘を天皇と結婚させて祖父となって政治に介入したんだな。
栄えすぎて藤原道長は「この世をば、わが世とぞ思ふ」とまで言ってる。
道長の子の頼道(平等院つくった人)の娘に子供ができなかったから頼道で終わったけど^^;
菅原道真は遣唐使を廃止させて、国風文化を築いたけど、
藤原氏に睨まれて、九州に追放されちゃった^^;
②上皇
藤原氏の勢力を阻むため白河天皇は上皇になって院政を行った。
上皇は天皇との親子関係を利用して政治に介入したんだ。
(本当は天皇ではない上皇になることで、貴族と同じように荘園をもとに財を成すためなんだけどね←覚えなくて良い。)
その後天皇と上皇が対立して(上皇が思い通りの天皇にできなかったことからの対立)保元の乱が起きた。
崇徳上皇 × 後白河天皇
藤原頼長 × 藤原忠通
平忠正 × 平清盛
源為義 × 源義朝
それぞれの一族が分裂したんだな。
後白河天皇側が勝って、平清盛、源義朝が勢力を伸ばしていったのね。
③平氏
保元の乱で源義朝と 平清盛のご褒美に差があり、源義朝が平清盛に怒って兵をあげ平治の乱を起こします。
平治の乱で勝利した平清盛が実権を握っていきます。
栄えすぎて平清盛は「平家にあらずんば人にあらず」とまで言ってる。(どこかで同じようなことが。。。)
藤原氏と同じように平清盛は娘を天皇と結婚させて祖父となって政治に介入。
こうして、武士としての兵力、政治家としての権力を得た。
さらに中国の宋と貿易して財力も得た。
あることってわかったかな?
そう!
天皇と関わりを持つことで権力を維持していたんだ。
大事だぞ^^
平清盛の独裁政治で貴族や地方武士達が不満を持ち、天皇が源氏に平氏を討つ命令をして、源平合戦が始まる。
源平合戦は
石橋山の戦い →源頼朝は兵を挙げたけど負けて、父の館がある鎌倉に本拠地を置いた。
富士川の戦い →沼にいた数万羽の水鳥が飛び立った音にびっくりして、平氏が逃げた。
平清盛亡くなる。
倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い → 牛の角にたいまつをつけて突っ込ませる。源義仲勝利。
一の谷の戦い → 源義経が急な坂を駆け下りて勝利。「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」
屋島の戦い →那須与一(源氏側)が「揺れる舟の上の扇の的を射よ」との平家の挑発でみごとに的を射た。源氏勝利。
壇ノ浦の戦い → 海戦が得意の平氏水軍が優勢だったが、潮の流れが変わって源義経が一斉に攻撃を仕掛け勝利。
源義経は大活躍したが、優秀すぎて命を奪われた。
そして頼朝は守護(国ごとの警備)、地頭(荘園ごとの管理)、執権(将軍の補佐)を置いて、
鎌倉幕府を築いた。
ふぅーっ^^
これで歴史の1/3だ。
あと2/3かぁ。。。
長いなぁ~^^;