まだ二日目ではあるのだが、時間が経つのがまぁ~遅い(笑)

 

これまで、余りある時間をどれだけyoutubeで溶かしていたかというのを痛烈に実感している。エロ禁などyoutube禁(以下、つべ禁)の前では、日本で言えば和歌山県程度の影響力も持たないのである。

 

世間では、アルコール依存は緩慢な自殺だと言われる。しかし、youtube依存は緩慢どころか無色透明の底無し沼であり、一介の大学生では沈んでいることすら気づけない。そしてハマったが最期、思考力を奪われて永遠の現実逃避に突入するのである。

 

どうしてyoutubeは抵抗する気も起こさせないままに我々を依存に導くことが可能なのだろうか。今日は取り立てて書くことも無いので、youtubeの強力な依存性について考察していくことにする。

 

①依存対象という意識が希薄

 

そもそも、我々はyoutubeを依存の対象だと思っていない。世間的には依存対象はアルコールや麻薬等がメインである。ネット依存という言葉もあるが、その内実としてはいわゆるネトゲであったり、ネットサーフィンが中心であり、案外youtubeは含まれていないものである。

依存の危険をはらむものだという認識が無いので、我々は身構えることも出来ないままyoutubeの深淵に引きずり込まれていくのである。


②莫大で多様なコンテンツ、しかも無料

 

いうまでもなく、youtubeには莫大で多様な動画が溢れている。個人のプライベートから有名人のスキャンダルまで、お笑い、歌、テレビやラジオの番組、映画、スポーツ、ニュース、趣味、生活、さらにはyoutuberというオリジナルコンテンツまで充実しているではないか。

これだけの動画がありながら、ほぼすべて無料で視聴出来るのだから、そりゃハマっていくに決まっているのである。

 

この無料というのは厄介なもので、支払いの手間が無いというのは単に節約になるということ以上に、サイト内で世界を完結させることが出来るという大きな意味があると私は思っている。支払いも返却期限も無い、手続きが何も存在しない(せいぜい次の動画をクリックするくらい)というのは、サイトの外部の世界を意識する機会を失うことに繋がるため、現実逃避にもってこいなのである。

 

あとは…

③無駄に便利

④動画視聴という受動的かつお手軽な行為

などがふと浮かんだが、疲れたからまたの機会に述べよう。