僕の宝石理論。(パソコン環境お勧め、再生は出来るだけ高画質で)
あらゆる特殊な形状の宝石を編み出したり、研磨してる僕らですが
じつは根底に、とある音楽があります。
情熱無くして宝石の存在価値無し。
なんですね。
まぁ仕事で聞きながら、DVDで見ながら仕事してます。
良い例が
Al Jarreau - Spainとか
実はこの曲僕タバコやめりゃあ歌えます。
MARCUS MILLER-RUN FOR COVER とか
他にも色々あるんですが、
(リンクはクリックして聞いてみて下さい。)
naniwa express の
Believin
believin
David San やマーカスミラーの
Marcus Miller Project feat. David Sanborn / Straight to the Heart
Snakes
僕が、今、38才で
ある程度,19才まで日本で育っているんですが
子供の時からちょっとませた子供だったというのは否定しません。
子供でNHKの指揮者だったマタチッチが云々はどうかなぁと(苦笑)
母親自体が声楽家であったこともあり、クラシックでバイオリンやピアノを習い、色々悩んだあげく
僕が中学生の以降時に選んだのはドラムとトロンボーン、その後SAXを、
まぁ両親にはかなり反対されましたが、敢えてかなり交渉してやらせて貰いました。
ある意味わがままを聞いて貰い、感謝してます。
バブル経済真っ最中から終演時期と云うこともあり経済的に余裕もあったんですけどね。
学校で習う事柄も含め、この音楽は何故こうやって作られてるのか考えさせられました。
つまり子供の時に叩き込んでもらった音楽理論から遠く離れたところにあったんですね。
「何故全員がここまで主張できる音楽が成立するのか?そして、各演奏者が相当主張しているのになぜここまで成立するのか?」不思議だったんですね。
あらゆるLPやCDを聞き倒し悩みましたね、DEEP PURPLE然り いろんなミュージシャンのアルバム、シングルCDを聞き倒し、それを譜面に自分で起こし(此が先輩達に渡っていったわけですが)
でもこのきっかけを与えてくれたのは父が4歳の時に与えられてくれたVOCTORの非売品の1つのカセットテープに入っていた。
Stevie Wonder のlately
でした。
なぜここまで心揺り動かされる曲が世の中にあるのか当時、理解できませんでした。
ある意味がちがちで育てられた僕が子供心に何なん?これは?
と思っても仕方ないわけで。
中学生、高校生になり英語が少しわかるようになり歌詞の意味や楽器の主張の意味がわかるようになってきました。
メインは立てた上で後ろがそれをカバーするとか、各個人が前に出ながら何故ここまで
調和するのか?
つまり各個人の技術も卓越して、素晴らしいんですが、駆け引きで弾いたり出たりしながら確実に音楽が構成されていること。
良い例が
カシオペアのASAYAKE
FIGHT MAN
この曲に至っては、日本のフュージョン界の両巨頭がレーベルの枠を破って競演してるわけです。
(演奏権という垣根を越えて、初めて競演した頃じゃないでしょうか?)
つまりこの手前くらいから、日本でも「個性の強い物同士でも、協力して一つの物を作り上げることが出来る」と認識できたわけです。
アメリカでも日本でも世界中が契約社会である動きから少しずつ自分たちが動かしてその垣根を越えた瞬間です。
Greg Howe_Dennis Chambers_Akira Onozuka_Tetsuo Sakurai 21世紀の扉1
Greg Howe_Dennis Chambers_Akira Onozuka_Tetsuo Sakurai 21世紀の扉2
これだって日本で出来ないからこそ海外でやった櫻井哲夫さんの音楽です。
この垣根を越えることで個人の技術をお互い生かし合って一つの音楽を作る。
つまり、制御された事柄を打ち破り、協力し合って一つの事柄をなす事を何十年も掛けて目の前でやってくれたわけです。
レーベルとの契約は非常に厳しい物です。
それを打ち破るだけの努力をされてきたわけですから、やはり素晴らしい物があると思います。
僕自身も12年ほど前から今までの殻を打ち破り今日まで進んで参りました。
それが故に今の自分があるのだと思ってます。
型にとらわれず、より大胆に、有効に宝石も表現していくべき時期が日本にも訪れてきたと思っています。
そのためには自分が学び、オールラウンダーであること。
此は必須条件と思っています。
じつは根底に、とある音楽があります。
情熱無くして宝石の存在価値無し。
なんですね。
まぁ仕事で聞きながら、DVDで見ながら仕事してます。
良い例が
Al Jarreau - Spainとか
実はこの曲僕タバコやめりゃあ歌えます。
MARCUS MILLER-RUN FOR COVER とか
他にも色々あるんですが、
(リンクはクリックして聞いてみて下さい。)
naniwa express の
Believin
believin
David San やマーカスミラーの
Marcus Miller Project feat. David Sanborn / Straight to the Heart
Snakes
僕が、今、38才で
ある程度,19才まで日本で育っているんですが
子供の時からちょっとませた子供だったというのは否定しません。
子供でNHKの指揮者だったマタチッチが云々はどうかなぁと(苦笑)
母親自体が声楽家であったこともあり、クラシックでバイオリンやピアノを習い、色々悩んだあげく
僕が中学生の以降時に選んだのはドラムとトロンボーン、その後SAXを、
まぁ両親にはかなり反対されましたが、敢えてかなり交渉してやらせて貰いました。
ある意味わがままを聞いて貰い、感謝してます。
バブル経済真っ最中から終演時期と云うこともあり経済的に余裕もあったんですけどね。
学校で習う事柄も含め、この音楽は何故こうやって作られてるのか考えさせられました。
つまり子供の時に叩き込んでもらった音楽理論から遠く離れたところにあったんですね。
「何故全員がここまで主張できる音楽が成立するのか?そして、各演奏者が相当主張しているのになぜここまで成立するのか?」不思議だったんですね。
あらゆるLPやCDを聞き倒し悩みましたね、DEEP PURPLE然り いろんなミュージシャンのアルバム、シングルCDを聞き倒し、それを譜面に自分で起こし(此が先輩達に渡っていったわけですが)
でもこのきっかけを与えてくれたのは父が4歳の時に与えられてくれたVOCTORの非売品の1つのカセットテープに入っていた。
Stevie Wonder のlately
でした。
なぜここまで心揺り動かされる曲が世の中にあるのか当時、理解できませんでした。
ある意味がちがちで育てられた僕が子供心に何なん?これは?
と思っても仕方ないわけで。
中学生、高校生になり英語が少しわかるようになり歌詞の意味や楽器の主張の意味がわかるようになってきました。
メインは立てた上で後ろがそれをカバーするとか、各個人が前に出ながら何故ここまで
調和するのか?
つまり各個人の技術も卓越して、素晴らしいんですが、駆け引きで弾いたり出たりしながら確実に音楽が構成されていること。
良い例が
カシオペアのASAYAKE
FIGHT MAN
この曲に至っては、日本のフュージョン界の両巨頭がレーベルの枠を破って競演してるわけです。
(演奏権という垣根を越えて、初めて競演した頃じゃないでしょうか?)
つまりこの手前くらいから、日本でも「個性の強い物同士でも、協力して一つの物を作り上げることが出来る」と認識できたわけです。
アメリカでも日本でも世界中が契約社会である動きから少しずつ自分たちが動かしてその垣根を越えた瞬間です。
Greg Howe_Dennis Chambers_Akira Onozuka_Tetsuo Sakurai 21世紀の扉1
Greg Howe_Dennis Chambers_Akira Onozuka_Tetsuo Sakurai 21世紀の扉2
これだって日本で出来ないからこそ海外でやった櫻井哲夫さんの音楽です。
この垣根を越えることで個人の技術をお互い生かし合って一つの音楽を作る。
つまり、制御された事柄を打ち破り、協力し合って一つの事柄をなす事を何十年も掛けて目の前でやってくれたわけです。
レーベルとの契約は非常に厳しい物です。
それを打ち破るだけの努力をされてきたわけですから、やはり素晴らしい物があると思います。
僕自身も12年ほど前から今までの殻を打ち破り今日まで進んで参りました。
それが故に今の自分があるのだと思ってます。
型にとらわれず、より大胆に、有効に宝石も表現していくべき時期が日本にも訪れてきたと思っています。
そのためには自分が学び、オールラウンダーであること。
此は必須条件と思っています。