以前から何度もブログに書いたけど
オレは自分が竿を出して釣った魚は基本的に持ち帰らない
なぜか?
まあ、一言では答えられないが
簡単に言うと
1.オレごときが今日は釣りに行こうと、思いついただけで、なにも命を落とす魚が居なくたってイイじゃないか。オレが思い立たなきゃまだその魚は元気に海を泳いでる
2.オレは純粋に70オーバーの石鯛や、他の魚だって大物と言われるような魚を「釣りたい」と思ってる、そんな人間がその大物にまで育つ個体を減らす行為(釣った魚はこまかろうがデカかろうがフルキープ)は、まったく逆ベクトルだと思ってる。どの口が大物釣りたいと言うんだ!?というスタンスだから
3.釣りはただでさえ疲れて帰るし、帰ってからも道具を洗ったりなど、メンドクサイのに、それに加えて魚の処理などしたくない
「3」は別に翌日にだってやれることだから、それほど重きを置いてない
「1」と「2」の意識があるから、基本的には持ち帰らない
「この魚は一生モノ」や、商売柄「コレはオブジェになる一生モノだ」など思ったらキープするし
リリースしても命を落とすだろうという個体は持ち帰ることもある(まあ、それでだって極論を言えば、人間側の自己満足の世界で、その魚を大事に持ち帰れば活かされた、捨てたら無駄・・・ではなく、捨てた魚が朽ち果てる時には様々な生物の栄養源になったりしているから、なにをもって「死をムダ」と定義するかは疑問なんだがね)
でも、結局のところ「1」と「2」の思いで魚はリリースを基本としています
以前にも書いたが、魚を食いたきゃ「商業漁師が獲って来た」魚を金出して食えばイイ
その分は豚や牛やニワトリなどと同じく、人間様が食うための魚で、運が無かった個体
でも、わざわざ、己ごときの思いつきで釣りに行った魚の命まで取る必要がどの程度あるのか!?
フルキープする釣りをする者ほど、やってること、言ってることが低次元に思える
それを釣り歴わずか「数年」のビギナーがやってるんならまだ解るが
10年、20年、30年、40年とやって来た者が40年前のスタンスとなんら変わらないというのは40年間価値観が変わってないという不進化なヤツってこと
普通は同じことを30年、40年も続けると、一種の哲学的なことを思い始めたっておかしくないと思うんだけどね・・・
前にも書いたように「70cmの石鯛が一生の目標」と謳う者が、釣った石鯛は片っ端からキープして殺す
前にも言ったように、その「いち釣師」が自然界の個体数に与える影響なんてたかが知れてる、しかし、ポイントはそこではなく
個体数に影響与えようが与えまいが、「やってることに矛盾がある」ってことに自身で疑問に思い始めないとダメだ
普段から「減らす」行為、「夢が遠のく行為」をしてる者が「夢を語る」
おかしなもんだ
その己の矛盾がイヤなら
目標以外は海に戻すのが同じ方向に向かうベクトルであって、フルキープはおかしなハナシなので自分ちで食べたい魚は商業ベースに乗っかった魚を金出して買うべきであって、「お世話になった仕事先だのご近所に・・・」だのまでキープしてたら10尾釣ろうが100尾釣ろうが「配る先はある」という理屈も言って「青天井」でキープされる、そんなことをしながら「70」を口にする石鯛師も多い、己の価値観やら立派な講釈すら濁らせるもんになる・・・と気づくべきである
己の夢が崇高なもん、と自分自身でも思うのであれば、それを3流の世迷言にしないためにも普段の行動にも矛盾があってはならない
お袋がまだ若かった頃(オレが子供頃)
前日の刺身の残りなどが冷蔵庫に入っていたら、お袋が塩コショウしてバター焼きにしてくれてた
刺身の切り身をバター焼きしてるので、刺身サイズの小さなバター焼きなのです
それを久々に食べたくなったので、ブリの切り身を買ってきた
バター焼きはヒラスでやるよりブリでやったほうがウマイ
まあ、ほかの煮つけやカマ焼きどにしたってそうだが「旨味」は数日置いたブリには敵わない
ヒラスは身が命の食材で、「旨味」はブリだと思ってる
個人的には黒っぽくなるくらいが「旨味」はMAXだと思ってる
しかしまあ
高っかいわ~
これじゃ「キロ4,000円」じゃね~か
こんなの見ると
じゃあ4kgのヤズ(ブリの小さいやつ)釣ったら、1本4,000円じゃん
まあ、これは切り身の状態なんで、内臓・頭・中骨・尾鰭など抜くなら1本7~8kgが4,000円くらいってことか
「だったら、釣った時に食おう」と思うのが釣人の自然な流れかと思うけど
それでもオレは自分が釣った魚は海に戻す&食いたきゃ商業ベース上に乗った魚を食う
そう決めてます
そして「80cmの本石を釣りたい」とか「50kgのGTを釣りたい」と口に出しても
「オマエ、やってることと言ってること相反するじゃん」などとツッコまれたくない普段をやるようにしてる
まあ、他の人間は勝手ですがね