44年前の「田平町」&「平戸瀬戸」 | ぎっちょ31  

ぎっちょ31  

蒼き時代より共に生きる

NBCの古い映像をお金を払って観られるサイトがある

そこに昭和54年(1979年)の「田平町」が映っていた

もう少し古い、昭和50年前後には定期的に田平にお袋と一緒に通っていた

子供の頃に友人から目を突かれて、1カ月ほど長崎大学病院に入院したんだが、その後の定期診療はできるだけ近くの眼科を紹介されて田平の病院に通ったのだ

だから当時の田平はそこそこ知っている(まだ平戸大橋すら掛かってない時代だ)

 

平戸大橋は、記憶じゃ、今のウチの家と同い年で「昭和52年完成」だと記憶している

 

昭和54年だと、橋ができて2年後くらいの頃の田平と平戸瀬戸ということになる

 

そんな「田平町」だから

今では、ひっくりめて「平戸市」と言ってるが(市町村合併時に松浦市にイヤがられたので仕方なく平戸に歩み寄ったと聞いている)

オレの中では「平戸は島」であって、橋の向こう側が「平戸」であって、橋の手前の九州本土側は「田平」と今でも思ってる

その平戸島へ渡る入口なので「平戸口」

 

当時の「平戸口駅」

昔は「平戸口」のみの駅名(今は「たびら平戸口」)

さらに、よく観察すると(ボケ~っと眺めない、見えてるものはすべて見る、見えないもんまで見るクセを)と

駅が少ない

次は「江迎」になっている、現在は「西田平」&「すえたちばな」と2駅、間にあるがどちらも「平成」以降の駅

「田平駅」は現在は「東田平駅」と改名、現在はその間に「中田平」もある

ほぼ埼玉の「浦和」のノリだ(わかる人にはわかる)

 

か~っ、西肥バスも昔はこんなバスだったな

 

基本的に駅舎は当時の雰囲気が残ってる(旧「影業車三番機」)

 

44年前の田平の坂

つい数年前までこのストアーはこんな感じだった

 

この坂を50年近く前にお袋と一緒に坂をのぼって、この先の眼科に歩いていた

その場所には、今は別の眼科があります

建物も当然ながらまったく異なる

 

田平港、当然ながら「平戸瀬戸市場」などは無い

バスターミナルの前は海だった

子供の頃は、船に乗ると瞬殺で酔ってたので(また当時の船なんて、酔うような小さくて臭い船でした)

お袋と二人で田平まで太古丸で渡ってくるたびに、ゲーゲー吐きながらゲッソリした姿で田平に上陸していました

たった一回だけの記憶ですが、今でもハッキリ覚えてるのは、酔って上陸したオレにお袋が売店で「オロナミンC」を買って飲ませてくれた

お袋なりに、ただの清涼飲料水よりも元気になりそうな飲み物を選んだのだろう

それと小さな「いなり寿司」のパックのようなのを買ってくれた

今でも「オロナミンC」と「いなり寿司」の味を味わうと「田平」を思い出します

「おいしいですよ!」がもう昭和感です

 

 

出来たばっか(2年後)の「平戸大橋」とまだ短い「青木の波止」

 

そして、先日、yukiニックが竿を振っていた場所に行った時にも少し話しましたが

その「南竜崎」の潮が

今とは異なるのも見て取れる

これが動画だと尚わかる

そもそもゴロタ場の雰囲気も違うしね

当時のほうがイイ潮が行ってる、きっと当時のほうが釣れただろう

南竜崎の角ッコのトコを10数年前にも掘ってから、瀬戸のような自然の地形を流れる水から「U字溝」のような単調なトコロを流れる水に変わり、潮に変化が少なくなった

「潮が動かないと釣れない」と海釣りでは言うが「U字溝の流れ」では釣れないし「時合い」や「潮時」というタイミングも発生しない

単純なことだが、意識が少ないアングラーは多い、特にプラスチックしか放らないアングラーは・・・

 

貴重な映像である