母の葬儀の翌日、父は仏壇の前に座って泣いていたそうだ。
私が見たのではなく、初七日のお供えを持って来てくれたおばさんから聞いた話だ。
父は「家内が、こんなに早く亡くなってはび子(私)が、可哀想や。」と言って泣いてたらしい。
その話を聞いて私は、驚いた。妻が死んで泣いてるのではなく、私の事を慮って泣いてくれたということに。
父と私は、相性が悪かった。父は、姉を可愛がった。
思い出すある光景。
怒られた理由はまったく覚えてないが、私は、木にくくられた。
まんがのような話だが、その強烈な光景は姉も覚えているという。
その木は今もある。
ある時、父の覚書、予定表を挟んでいるバインダーに、あるメモを見つけた。
『俺が死んだら、はび子が一人ぽっちになる』
時折、父は、私に「お母ちゃんと俺が代わったら良かったのに。なんで俺が残ってしもたんやろう。お前が可哀想や・・。」と言った。
「お前も母親早くなくして可哀想やけど、俺も母親に早く死なれて苦労した」と、自分の父親、弟たちと男所帯になった苦労話を聞かせてくれた。
いつからだろう・・・父の方が弱くなったのは・・・
いつからだろう・・・父と親子の立場が逆転したのは・・・・
姉に比べて私に愛情を注いでくれなかった父だったが、おばさんの話、前述の父の発言に、私に対する優しさを少し感じた。
(今振り返ると、父は、あれこれ私にしてくれたこともたいへん多いのだが)
父が認知症になってなければ、私は、父にここまで優しくできなかったかもしれない・・・。
二人になって父は、問わず語りに、私の生まれる前のいろんな昔話をしてくれた。
認知症は、あったけれど、この頃父の昔の記憶は、驚く程、鮮明だった。
その昔話の中で、初めて、私と比べて姉の方を極端に可愛がった理由を理解することになる。