父と私は今もマラソン(介護をマラソンに見立てている)を走っているのだが、もうマラソンを一緒に走れないかも知れない。と思った時期があった。
ありのまま事実を文字にすると、あまりにも辛くて、悲しすぎるので、マラソンに例えて比喩的に表現したい。その受け取り方は、読者の想像にお任せしたい。

三年前まで、マラソンを父と時折、休みながら、何とか、つつがなく走ってきた。
しかし三年前、二股に別れた大きな岐路にきた。
一方は、今まで歩んできたコースの延長、
そしてもう一方は、いいまでの道より、とても景色もよく、走りやすそうな感じのコースに見えた。
私の判断で迷わず、そちらにコース変更してしまった。

しかしそちらのコースは、とても恐ろしい道だった。
太陽が照りつけ、喉が乾くのに、給水所はあるのだが、私たちには、ドリンクを取らせてくれなかった。
父と二人脱水になりながら走っていたら、そこに怪我を負った瀕死のランナーが倒れこみ、そばにいた父を、こかしてしまった。
こかされた父は、そこで大怪我をしてしまった。倒れこみ、なかなか起き上がれず、もう立てないかもしれない・・・。悲しみにくれた。
私は、父と、まだまだ一緒に走るつもりなのに、父だけタンカにのせてそのままゴールに連れて行かれそうになった。

倒れた父に何もしてあげれず、こちらのコースの専属コーチは、指示はくれず、ただ冷ややかな視線だけを送っていた。
つらかった・・・・ほんとうに辛かった。コースを読み違えた自分に腹がたち、私自身が気力も、失い、走ることをやめたくなった。

そんな期間を過ごし、自然治癒力だろうか、父の怪我も少しづつ癒えてきた。そして二股のコース変更の少し手前からお世話になっている、もう一人のコーチも助けてくれた。

するとカンカン照りから少し気温も下がり、心地よい風が吹いてきた。

父の怪我は、完全に治る事は、ないけれど、かなり癒えた。
よちよち歩きを始めた。
私も周りを見渡すと、心地よいBGMが流れている事に気づいた。
その音楽は、私をとても元気にしてくれた。
すぐ目の前しか見ていなかった私だが、初めて周りを見渡す余裕も生まれていた。
父に肩を貸しながらのよちよちマラソン。とてもゆっくりではあるが、少しづつ前に進んることは確かだ。

ここで私は、父と一緒にマラソンを走れることがどんなに『尊いこと』かと、開眼し、父と自分に関わってくださる方々に感謝することを知った。

その時聞こえた心地よいBGMは、今も私の介護の大きな活力だ。
そして今、私に元気くれた音楽は、父をも元気にしてくれた。
そして父の笑顔も取り戻してくれた。

こんな気づきも、はびちゃん(父)からの贈り物だ。 感謝。

昨日は、訪看さんの日。私が尊敬する訪看の所長さんに「孤独なマラソンランナー」編のブログを読んで頂いた。
所長が帰られた後、訪看さんの日誌を見たら、バイタル他、父の体温が37.1あったので「微熱」と書かれ、何故か「孤独なマラソンランナー」とも書いてあった。この言葉が印象に残ったのかもしれない・・・・。